疎遠だった父の死
こんにちは。20日に疎遠だった父が亡くなりました。父は57才から若年性アルツハイマーで亡くなる翌日が67才の誕生日でした。
私が幼少期の父は今で言うイクメンでとても可愛がってもらってましたが、私が成人した頃の父は、単身赴任先で彼女を作り、家にお金も入れずろくに戻って来ない自由奔放な生活を送っていました。
そのせいで母も私も特にお金の面で苦労をし、いつしか父と関わりたくないと思うようになりました。
そんな父がアルツハイマーになり、仕事が出来なくなり、最初はデイサービスでお世話になってましたが、2年前に施設に入所をしました。
デイサービスの時は父にある程度の食料等を送ったり、電話があれば話すこともあったのですが、施設に入る頃は何も解らない状態だったため会いに行ったり連絡を取ることは全くありませんでした。
最後に父に会ったのは2年前にデイサービスから施設に移る説明を聞きに行った時です。娘の私のことを認識することはありませんでしたが、無邪気にしている父の様子が今も印象に残ってます。
今月の頭に母と妹と一緒に2年ぶりに父に会いに行く予定をしていましたが、コロナで騒いでいた時期だったため、私の延期しようと言う決断で予定が無くなり、結果、最後に元気な姿を見ることもなく逝ってしまいました。
なぜ、しっかり予防した上でなら大丈夫と言う決断を出来なかったのか?
2年の間になぜたった1日でも会いに行かなかったのか?
私の延期と言う決断によって、母も妹にも最後に父に会わせてあげられなかったと言う後悔しか出てきません。
昨日父の顔を見に行ってきて、葬儀はこれからとなります。
肺炎が原因でしたが、とても穏やかな顔をしていたことと、施設の人の話を聞いたら、毎日明るくみんなと楽しく過ごしていたとのことで、それは安堵しました。
ただ、延期しなければ会えていたこと、2年もの間会いに行かなかった自分を責めて仕方ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お父様には純粋な想いは届いています。
初めまして、今日は。
お父様は、しがらみや苦しみ、辛さ・・全てから解き放たれて・・あなたやご家族との”命の時間”を共にお過ごしになられています。
スタートラインと、辿り着く場所・・誰もが平等に訪れ一緒です。違うのは、それぞれが自分で描いて歩んだ人生と言う冒険旅行です。描いて、主人公を演じるのです。
此岸(この世)から彼岸(あの世)に持って生けるもの、それは刻んだ心のアルバムです。そして、命あるものは亡くなったら終わりではありません。魂は生前、愛した人の心に入って・・共に想い出に共感をして、一緒に寄り添って泣いて・・お互いが、もう大丈夫と言うタイミングで・・それぞれが新たに描いて自分のストーリーを歩み出すのです。それが私は四十九日だと思います。
お父様は、俺こそ・・寂しい思いをさせてしまって悪かった。ごめんな・・恨んでなんかいない。どうか、一緒に過ごした出来事を忘れないで欲しい。今は一緒に悲しんでも・・涙が自然と止まったら、どうか笑顔に戻って日々を過ごして欲しい。困った時は、いつでも導くから自分らしく過ごして欲しいと言っているはずです。
私たちの身体には、ご先祖様や父母の生きた証だけではなく、願いや想いがずっと引き継がれています。人として生まれかつ、比較的に仕合せな時代と国に産まれる確率は奇跡です。とても大切な気づきを与えて頂いたのです。身近な人の死や病気などで・・当たり前と思っていた出来事が、当たり前ではないんだ・・と言う気づきや健康に過ごせる事、日々が訪れる事の有難さを改めて取り戻すのです。
あなたには、お父様の想いや願い、託されたものがあります。焦らないで、ゆっくりお父様との命の時間をお過ごしください。それぞれが、新たに歩み出しても心の中の引き出しにはお父様との思い出が刻まれています。お仏壇がなくても、純粋に祈れば・・スッと隣に現れて、その姿に微笑んで応えてくれます。
別れがあるから、新たな出会いがあります。私たちも、いつか彼岸に辿り着きます。その時、心に刻んだアルバムを開いてお父様を抱きしめて上げて、想い出を肩ってください。私は、亡き妻に子ども達の成長した姿など語るために沢山の想い出を過去でもない、未来でもないこの瞬間を自分らしく生きています。
お父様に、心から南無大師遍照金剛
合掌 礼拝
質問者からのお礼
ご回答有難うございました。聞いて頂き、お答え頂き少し気持ちが楽になりました。もう生きている父には会えませんが、父が側で寄り添ってくれていると思いながら、日々を過ごして行こうと思います。