母が余命一ヶ月と言われました
初めて質問します。
私は30代、母は70代前半です。
ずっと肝硬変で入退院を繰り返しており、そのたびにまだ大丈夫と考えて過ごしていました。
先日、余命一ヶ月と言われ、どうしていいかわからず、また、覚悟も決まってなくて毎日泣いています。
今までの病院は急性期病院のため、出ていかねばならず、母にとってなじみでもない初めての病院に転院しましたが、やはり不安なようで「生きたくない」「もうどうなってもいい」と言うようになりました。今までの病院では頑張ろうと言ってたのですが…
私も落ち込んでしまい、母の前では元気でいようと思っててもそのような声を聞くと本当にこれでよかったのかと泣いてしまう始末です。
この選択でよかったのでしょうか。また、どのように接していけばいいでしょうか。残りの時間をどのようにすごしたらいいのか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どう選択しても後悔します
お母さんが余命わずかと宣告されたのですね。お辛いでしょう。
私どもの前住職は胃がんから全身転移し最後の三カ月ほどは自宅で過ごし、そのまま家で亡くなりました。本当はもっと早く亡くなるようにかかりつけ医は処置していたのですが、私が中心動脈栄養をしてほしいと言ったため、栄養と水分少が取れるようになりそのため少なくとも2カ月は延命できました。この期間に最後の孫の顔を見せられるなど、よかった面もありますが、延命できたということは苦しむ期間を延長させたということでもありました。あれでよかったのかなぁ、かえって苦しめたのではないか、と今も後悔することがあります。思いあまって知人に相談したことがありましたが、その人もつねに自分が選択を迫られ、その連続だったし、猶予がないところで即座に決断したので、後悔は残っているとおっしゃっていました。
なるほど病人さんの家族は誰でも苦しまなきゃいけないんだ、とそのとき知りました。私の場合ですと、延命できる手段があるのにそれをしなかったからと後悔するか、延命して苦しむ時間を長引かせたと後悔するかの二者択一しかないのですから、どちらを選んでも後悔するしかなかったわけですよね。こんなわけですから、後悔するのは仕方がないことなんです。
さて、これから残された時間をどう過ごすかですが、何も特別なことをしなくていいと思います。できるだけ長く傍にいてあげてください。本人がそう望まれたら、身体をさすってあげてください。その他、あるお坊さんがおっしゃっていたことですが、その人を大切に思う気持ちがあったら、自然とそのように行動できる、だから、それこそ勝手に行動に現れるものらしいです。
何が食べたい、誰と会いたい、何がしたい、ごく限られたことしかできないでしょうが、できることはかならずあります。そして、それはお母さんを愛しておられたらかならずあなたのなかから湧いて出てくるものだと思います。いいかえると自然に、あるがままに接してあげるなかで限りなくいろんなことが出来ていくものと思います。直近は不安がるお母さんをやさしく包んで安心させてあげることかと思います。大切にしてあげてください。
限られた時間の中で、出来ることを
「残された時間は少ない。出来る範囲で少しでも多く思い出を語り合えれば。と思い、時間を作って見舞いに行こう。でも、たいしたことは出来なかった。」10年前に実家の父が病気で亡くなった時、9年前に実家の母が病気で亡くなった時の私でした。
回答のタイトルに、「限られた時間の中で、出来ることを」と書いてしまいましたが、私の場合「あまり出来なかった」というのが正直なところです。私が今居る寺から実家までは車で2時間弱の距離があります。当初は盛岡市の病院に入院しており、我が家からそこに行くまで、2時間半以上かかります。なるべく行くように努めましたが、数回しか行けず病状はどんどん進行していきました。
幸か不幸か父の臨終の場に立ち会うことが出来ました。でもドラマのように感動的な別れのシーンとは行きません。あたふたしただけだったかも。下記のブログ記事を参照ください。
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12580782021.html
病状が進めば、意識障害を起こしたり、「せん妄」という症状がでたりします。長時間の会話は難しくなります。緩和ケア療法と言っては、現実には痛み止めの処方ですから、コミュニケーションも難しくなると思います。
もっとお見舞いして、もっと思い出を語れば良かったなあとおいう後悔は今でも残っております。でも、私が私なりに自分の寺を護るため一生懸命だったことは理解してくれたと思いますし、孫たちの成長の一端を見せることは出来たと思います。
完璧なお見舞い、完璧な看取りは、不可能です。有り得ないです。残された時間を有効にと思っても、思うようにいかないことも多いです。ですから、「こうあらねば、」「こうしなければ、」と自分に課す必要はありません。
長時間の会話が難しくなっていくと思います。お母様の手を握ってあげる。身体をさすってあげる。会話が十分に出来なくても、ベッドの側にいてあげるだけでも十分だと思います。目を覚ました時、あなたが側にいてくれるだけでも、大きな支えとなると思います。
どうか諦めないでください。
今後のことを考えると
本当にお辛い気持ち、
同情いたします。
可能性が極めて低くとも、
最後の最後まで、
回復を祈りませんか。
心の整理の前に、
祈りませんか。
叶うか、
叶わないか、
それこそ神仏任せですよ。
あなたが落ち込んで、
悲しい顔をされたら、
お母さまも悲しいですよ。
大丈夫だから、
お母さんなら大丈夫だと、
どうか応援してください。
応援されると、
不思議に力がみなぎります。
こんなに頼りにされてるなら、
私も頑張らないと、
という気持ちになります。
逆に、一緒に泣いたり、
悲しい顔をされると、
ああ、もうダメなんだと。
お母さまの気持ちも、
落ち込みます。
何歳になっても、
我が子は我が子、
悲痛な顔をされたら、
こちらも辛くなりますよ。
しっかりと、
作りでもいいので、
笑顔でいてくれたら、
万が一のこの子なら、
一人で大丈夫だと、
どうか、
お母さまを安心してさせて、
くださいませんか。
いつも、いつも、
病気がちでしたが、
愛情いっぱいの、
お母さまのために、
よろしくお願いします。
愚僧も祈ります!
質問者からのお礼
藤岡俊彦様
ありがとうございます。
短期間に決めることが多くて、決めてしまってから後悔ということの連続です。でも、どちらを選んでも後悔しますよね。
優しく、温かいお言葉に涙が出ました。
泣くのは一人の時にして、母の前ではいつもの私でいようと思います。
本当にありがとうございました。
花山雲吉様
お返事ありがとうございます。
そうですよね。少し前に私が泣いてしまい、それで母は「娘を泣かせてしまった」と泣いてしまい、それを見て私も…という無限のループに落ちてしまいました。
一番身近な私が信じなくちゃダメですね。誰がなんと言おうと回復を信じ、朝夕のお参りを続けていきます。いつも守ってくださっていると感じています。
母のために祈ってくださりありがとうございます。とても心強いです。
吉田俊英様
ありがとうございます。
吉田様の経験されたことが、今の自分、母と重なって自分だけじゃないんだと少し肩の力が抜けました。
今ですら悔いがあります。これから先もそうだと思います。ですが正解はないのでしょうね。
今はただ母の力を信じて安心できるようにそばにいたいと思います。
ありがとうございました