死にたいと思いたく無いです
初めての投稿です。
私は学校内と家庭内での自分の乖離に苦しんでいます。自分で言うのもあれですが学校内ではある程度勉強は出来てスポーツも出来ます。後輩の中には自分の事を好きになってくれている子もいてクリスマスに遊びに行きました。
一方家庭では普段は問題無く過ごす事が出来るのですが母親と喧嘩した時に言い合いになるのですが母親の主張が明らかにおかしい時などは昔の話、普段の生活態度に話題を持っていき説教を続けます。もう何度同じ事に対して謝罪しているのか分かりません。勿論上記の内容を母親に伝えた事もあります。しかし反省していないの?と今回の件についての内容は無視してまた説教です。そこで父親が干渉してきて一時は間を取り持ってくれますが、この父親もなかなか話が苦手な人で話が進んでいくうちに母親と同じ事をしてきたり、その場は私が主張を殺す事によりなんとか丸く収まるのですが後日些細な事で父親に怒られます。その頃には母親はもう平常心に戻っています。なのでその様子を見た時に一時的な感情に身を任せて説教してきたのだと痛感します。このような事が繰り返し起こりいつしか道を歩いているだけで死にたいと思う事が増えてきました。
一度自分が家庭内で抱える悩みが大きくなった時、そんな自分と付き合っていても幸せに出来ないと思い当時付き合っていた彼女を振ってしまった事もあります。現在も同じ過ちを繰り返すのが怖くて彼女を作れません。付き合ったとしても幸せにできるのか、そもそも本当に好きなのか、ただ逃げ場が欲しいだけなのでは無いかなど色々考えてしまいます。そんな自分にはもう人を愛する事は出来ませんか?
上記の文が思いをそのまま書いたので大変読み辛い文章になっています、申し訳ないです。
追加、彼女を一度振ってしまったと記入しましたが、2年前の話です。それ以来ほとんど話していません、一度しっかりと理由を伝えるべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心を尖らせずに。
初めまして、お早う御座います。
私たちは、父母が居てご先祖様がいて、その願いや想いだけでなく証がこの身体に刻まれています。生きる意味、それは・・それぞれに役目がありこの瞬間を生きているのです。
家族だからこそ、感謝の心で接して、言葉で伝えなくては分らないことがあるのです。時には衝突もしたりするはずです。怒りとは、その場の穏やかな時間や風景を崩し去ってしまいます。言葉は”言霊”です。過去と同じく一度、口から解き放たれた言葉は消せません。
冷静に、伝えたいことを伝えヒートアップしそうになった時は、一度クールダウンする為に・・その場から離れたりすることも大切です。時に言いすぎることもあるはずです。そんな時は”謝る勇気”も必要です。そして引きずらない事も大切です。
そうして・・お互い理解し合って行くのだと思います。
人生は思うようにいかない事が多く、善き事が時々です。それだからこそ、有難みがあるのです。ご縁があり、この家族に産まれてご縁があり友人などと繋がりがあるのです。それらは当たり前ではありません。思考を変えて視野を広げて見てください。
見えていなかったことが見えて来るのです。そして、大切な気づきを与えて頂けてそれに気が付いたのですから、マイナスに捉えずにプラスに変えて見て欲しいです。彼女さんに対する想いがあるのでしたら、後悔をするよりも・・一度想いを伝えて見て良いと思います。
誰かが、あなたを必要として・・誰かをあなたは必要として、過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間を生きています。起こっていない出来事を考えて不安や心配になるよりも・・大切な心を捕らわれず、惑わされず、奪われず、その時々に顔を作らずに。あなただけにしかない良さを活かして、あなたらしく過ごして欲しいです。人生も運命も自分自身もいくらでも変えられ、リスタートが出来るのです。結果をすぐに求めずに、頑張ろうとせずに全てに当てはまる”ほどほど”で心をと自分自身を見失わずに、あなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。お祈り致しております。
いつでも苦しい時はここに来てください。
合掌