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拝む意味、お札やお守りを頂く意味とは?

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有り難し有り難し 14

こんにちは、仏教に興味を持って勉強をしています。まだまだの知識ですが、聞いたことやこれまでの人生で、仏教は仏様とひとつになることを目指すものだと理解しています(正しいのかな、?)その意味で、瞑想とかは分かるのですが、仏様や他の菩薩様に祈る意味、拝む意味とはなんでしょうか、お坊さん方はお経を唱えたり祈ることについてどうお考えでしょうか?
また仏教でも御守りやお札があると思います。それらのものにはどういった意味があるのでしょうか?
帰依して他力を祈るということでしょうか?
初歩的な質問で申し訳ないです。
どうかお教え下さい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追記あり:拝むのは瞑想の準備

こんにちは。
有難い質問を頂戴いたしました。
各宗派で様々な考えがあると思いますので、あくまで真言宗の修行を受けたいち僧侶が感じたことだと思ってください!

あなたのおっしゃるとおり、真言宗では仏様と一体になる自分が仏様そのものであると気づくことを目的としています。
そして、ざっくり言うと真言宗では拝む行為は、瞑想の準備段階。仏様と一体となる前に自らの心を清めることだと思っています。
真言宗では、仏様をお寺の本堂へ招待し、お供物やお経、作法をもっておもてなしします。(茶道のようなイメージです)
そして、仏様の真言(マントラ、呪文)を唱えて、今まで自分が犯してきた罪、業をきれいに清めていきます。
そして、いよいよ瞑想によって仏様と一体になるのです。
そしてその時はじめて、お供えや清めが仏様を通して、自分自身のため、ひいてはすべての人々の代わりに行っていたと気づくのです。

そして、一体となったあと、その良い行いで得た功徳を周りの人々へ回向(与える)すのです。

以上が、私が思う「拝む意味」です。

また、読経の意味ですが、「仏様の説法を1番近くで聞く手段」です。
読経をしているとき、私たちは自分で唱えていると思ってしまいますが、実はお経を発した時点で、それは「仏様が私たちの口を使って私たち自身に説法をしてくださっている」のです。
お経は、唱えることよりも、聞くことに大きな意味があります。
なので、自分でお経を唱えるというのは、自分の口を使って仏様が私たちに教えを説いてくださっているのを聞く行為なので、非常にありがたいことなのです。

また、お経は私たちの心の奥底にある仏様の心に直接届くので、極端に言えば内容を理解する必要もありません。音そのもの、文字そのものに意味があるのです。
ただ人生の智恵として仏様の説法として内容を勉強することは強くおすすめいたします。
以上、いち僧侶のいち見解、修行の中で感じた個人的感想でした。

追記:仏様に祈る、お札やお守りというのは「方便」です。
方便は、その人を救うため、心から仏様に帰依していただくためにまずお願いを叶えて差し上げることや、その手段のことをいいます。
人は生活が苦しいと生きるのに精一杯で、心が穏やかにはなれませんから、その安心感を与えてくださるのです。
願いを叶えるというのは、目的では無く、手段というわけです。

合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

貴重な回答をありがとうございました!
そういう意味なのですね、やっと納得いきました😊
日々お経などにも親しんで、学んでいきたいと思います!

「お守り・お札・護符」問答一覧

お寺の御札/お守り等の授与物について

私は千葉県の在住です。成人です。 観音様への関心が強まりまして、 毎月・朔日/月初にお参りに通うなら在住市内に在るお寺の方が良いかなとも考え、検索して近所に見つけましたが、お寺って、中規模以上くらいにならないと、御札等がある程度の種類の取り扱いが無いところが多いな…と思いまして。 自宅の神棚にお祀りして毎朝お祈り/祈願したいのです。 それで、例えば、東京浅草の浅草寺は生まれてから2~3度お邪魔した事はあるのですが、 遠くはないが、行きたい時に難無く赴けるほど近くはない距離感で、郵送での購入を検討していますが、 「Q:普段から正月のお参りやある程度定期的にお詣りして馴染みがある訳でもないのに、御札やお守りだけを頂く事でも本尊様方のご利益に与れるものだろうか?と思いました。」 そこまで考えるのは少し考え過ぎかどうか…。 自宅近所に見つけた車で5分程度の同じ市内のお寺も聖観世音菩薩を御本尊として、他にも不動明王様もいるお寺で行き付けにしているのですが、浅草寺様と同じ観音様だから関連している…と考えて良いものか、と。 普段現地に顔を見せないのに御札だけねだられても…とは浅草寺の観音様も思わないんでしょうけど…。 或いは、その発見した近所のお寺にお参り時に、同等の金額を浄財としてお布施すれば意義的には同じなのかな…とも一縷考えましたが。 ※勿論、一番良いのは直接その場で授与していただける事、何か御祈願したい時にいつでもお参りできる事だとは承知はしているのですが…。

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聖天様のお守りと参拝について

夫婦関係に悩み、初めてのお寺に観音様の参拝に伺いました。事前にHPを拝見し、聖天様と浴油祈祷の記載もありましたが、何のことか私には理解できない事だと思い、観音様の参拝にと伺いました。 参拝後、本堂横の授与所で、あるお守りに惹かれましたが、お寺の方に"観音様ではなく聖天様ですが宜しいですか?"と2度念をおされ、意味はわからないまま"一旦考えさせて下さい"とその場を離れました。 そして聖天様について携帯で調べると、安易に拝むべきでない、信仰するなら一生、辞めると怖い等の情報を目にしました。 その後別の授与所で、お寺の方に"本堂で念を押された意味は何なのか、聖天様が怖い神様だと目にしたこと、私は一生信仰はできないだろうし、お守りを一度も粗末なく扱えると言い切れないので私が授かって良いのか迷っていること"を尋ねました。すると"確かに聖天様は神様なので私達の様な者に対して何をしてるんだ!と気づかせるイタズラはされます。でも一般の方にはないと思いますし、イタズラもせいぜい転ぶ程度です(私が心配する様な一生を左右するような罰はない)。一生信仰できなくても、綺麗に終われば良いです。願いが叶ったらお供えでも浄財でも構わないのでお持ちし、心を込めて感謝すれば大丈夫です。惹かれたということは心が呼ばれているということなのでお求めになれば如何ですか"と言われ、悩んだ挙げ句、"予め聖天様に、もし失礼があったら申し訳ないのですがお守りに惹かれ授からせてくださいとお参りしても良いですか"と聞くと、"良い事だと思います"と言って頂き、何の作法も知らずただ聖天様に手を合わせ、家庭の状況・観音様の参拝に伺ったがお守りに惹かれ授かりたいこと、もし粗相があったら申し訳ありませんと伝えお守りと共に帰宅しました。 その際はとても心強い安心した温かい気持ちになったのですが、その後も聖天様について調べてしまい、怖い気持ちが肥大し、そう思う事自体失礼で申し訳ない様な、でも分不相応な事に手を出してしまったような恐れを抱き質問致しました(以前の問答を読んだ上でまだ恐れてしまう自分がいます)。 お寺の方のお話をただ信じ、聖天様を触らぬ神に祟りなしと恐れず、他の仏様やお守りと同じ様に考えて良いのでしょうか?そもそも一生信仰とは何を指すのでしょうか?聖天様にお願いをしたら別の神様に同じお願いをしてはいけないのも本当ですか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ