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拝む意味、お札やお守りを頂く意味とは?

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こんにちは、仏教に興味を持って勉強をしています。まだまだの知識ですが、聞いたことやこれまでの人生で、仏教は仏様とひとつになることを目指すものだと理解しています(正しいのかな、?)その意味で、瞑想とかは分かるのですが、仏様や他の菩薩様に祈る意味、拝む意味とはなんでしょうか、お坊さん方はお経を唱えたり祈ることについてどうお考えでしょうか?
また仏教でも御守りやお札があると思います。それらのものにはどういった意味があるのでしょうか?
帰依して他力を祈るということでしょうか?
初歩的な質問で申し訳ないです。
どうかお教え下さい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追記あり:拝むのは瞑想の準備

こんにちは。
有難い質問を頂戴いたしました。
各宗派で様々な考えがあると思いますので、あくまで真言宗の修行を受けたいち僧侶が感じたことだと思ってください!

あなたのおっしゃるとおり、真言宗では仏様と一体になる自分が仏様そのものであると気づくことを目的としています。
そして、ざっくり言うと真言宗では拝む行為は、瞑想の準備段階。仏様と一体となる前に自らの心を清めることだと思っています。
真言宗では、仏様をお寺の本堂へ招待し、お供物やお経、作法をもっておもてなしします。(茶道のようなイメージです)
そして、仏様の真言(マントラ、呪文)を唱えて、今まで自分が犯してきた罪、業をきれいに清めていきます。
そして、いよいよ瞑想によって仏様と一体になるのです。
そしてその時はじめて、お供えや清めが仏様を通して、自分自身のため、ひいてはすべての人々の代わりに行っていたと気づくのです。

そして、一体となったあと、その良い行いで得た功徳を周りの人々へ回向(与える)すのです。

以上が、私が思う「拝む意味」です。

また、読経の意味ですが、「仏様の説法を1番近くで聞く手段」です。
読経をしているとき、私たちは自分で唱えていると思ってしまいますが、実はお経を発した時点で、それは「仏様が私たちの口を使って私たち自身に説法をしてくださっている」のです。
お経は、唱えることよりも、聞くことに大きな意味があります。
なので、自分でお経を唱えるというのは、自分の口を使って仏様が私たちに教えを説いてくださっているのを聞く行為なので、非常にありがたいことなのです。

また、お経は私たちの心の奥底にある仏様の心に直接届くので、極端に言えば内容を理解する必要もありません。音そのもの、文字そのものに意味があるのです。
ただ人生の智恵として仏様の説法として内容を勉強することは強くおすすめいたします。
以上、いち僧侶のいち見解、修行の中で感じた個人的感想でした。

追記:仏様に祈る、お札やお守りというのは「方便」です。
方便は、その人を救うため、心から仏様に帰依していただくためにまずお願いを叶えて差し上げることや、その手段のことをいいます。
人は生活が苦しいと生きるのに精一杯で、心が穏やかにはなれませんから、その安心感を与えてくださるのです。
願いを叶えるというのは、目的では無く、手段というわけです。

合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

貴重な回答をありがとうございました!
そういう意味なのですね、やっと納得いきました😊
日々お経などにも親しんで、学んでいきたいと思います!

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