自分がわからない
私は恵まれているはずなのに死にたいと常に思っています。
愛してくれる家族、恋人がいて大好きな仕事をして趣味もあり趣味を楽しめる金銭の余裕もあります。
ですが常に死にたいと思っています。
残された人が悲しむかもしれないと思うようにして実行をギリギリとどまってますがそれもいつまでもつかわかりません。
自分がわかりません。
自分の発言も行動も存在も無駄で無意味で価値の無い、必要性の無いものだと思っています。
上に書いた現状の自分も生きる意味が無くならないように、そう思い込むようにしているだけなのかもしれません
何が嘘で何が本当かわかりません
もう全て終わらせたいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
満足の方向性や主人公を間違えると死にたくなってしまう事がある
手応えの無い他人が描いた幻想の幸せビジョン。
私は昔そういう絵に描いたような幸せビジョンを追いかけていた時期もありますが、手応えアラジンなのです。
ドラマや映画のエンディングシーンに描かれるようなハッピーエンドは映画やドラマだけにそこで「完結」する。ところが現実ちゃんは違います。その後も続く。
理想の男性、白馬の王子様と結婚したと思ってもその離婚やら浮気やらで地獄を見た人がこのhasunohaサイトにも集まっています。
だからと言って、それもエンディングでもアラジンなのです。
人間は「決めている」と知れ。
そうだと思いこんで「そうだ」と思うから決められるだけなのです。
思い方でトリミングして、評価してデッドエンド、デッド評価、DISりペイント。それをやっているのはどこか。
・あたしはこの先もダメだ、
・人生「つまらない」。
・死んでもいいかなぁ。
・超つまらねー。
そういう脳内評価をする「人」をアプリとして起動させていないか。
そいつがアタシの主人公だと思いこまされていないか。
それ、ナリスマシです。
脳内パラサイトです。
本当の主人公を知らんのでしょう。
禅語でも「主人公」という言葉がある。
人間の脳は重い思いというタヌキ・狐に化かされる。
バカされていることも知らない。
バカされてアタシが今苦しい思いをさせられているということも知らない。
バカされているのはその思いはアタシの脳内の暖炉🔥でモクモク湧いてきた煙のようなもの。着火させているのは誰か。不完全燃焼しているのはどこか。
全部「あたし」という自分アプリが起動しているからなのです
たとえ高性能のスマホで誰のよりも高価で性能のいいスマホであっても、ゲームアプリやらSNSが起動して、それをユーザーが優先的に見ていればそのスマホはそのアプリの為だけに起動しているようなものです。
だから、その安い苦しい暗いつまらない嫌なネガティブな思いしか生み出さないクソアプリを削除・アンインストール、もしくは立ち上げないことであなたは救われる。
坐禅とはこの「あたし(私)あぷり」の起動する前の主人公に出会う道である。
誰もが自分の主人公を持っている。
今の時点でこれが主人公であると思いこまされているものではない主人公がある。
その主人公に出会う前から、難癖をつけてしまっているのです。
人は主人公を誤認すると苦しいのです。
質問者からのお礼
お礼を書いたのですが多分確定前?に消してしまったようなのでもう一度書きます。
二重になってしまったらすみません。
ご回答ありがとうございます。
正直なところ、今の私には難しくてよく分からなかったです。
とりあえず理解できるようになるまでは死ねないなぁと。
ふわりと死にたくなるのでふわりと死なない理由をいただけた!というのが正直な気持ちです。
ありがとうございます