人との付き合いの割りきり方
はじめまして。
愚痴になってしまいますが吐き出せる場がありません。
ここでお話させてください。
半年程前に職場に異動して来られた50代の女性がいます。
職場内の別の部署で人間関係のトラブルを起こして色々な部署を異動している方で、他では引き取り手がなく私の上司が引き受ける形で今の部署に異動して来られました。
(今回もスタッフ同士で仕事中にケンカをして異動してきました)
最初は大人しくされていましたが、最近は自分には関係ない(わからない)ことにも何でも口を挟むようになりました。
私が他の同僚や先輩と話していても必ず割り込んで口を出してきて、聞いていないのに意見を言っています。
自分に都合が悪い話の時だけは関わっていてもわかりやすく黙っています。
でも人のミスには自分より下に見ている人(年齢だけではなく仕事ができる相手かどうか)には指摘をしたり他の人にああだった、こうだったと話しています。
そういう方だからこそ問題を起こして他の部署を追い出される形で異動になっているのだなぁと思っていましたが、最近口は出すけど身体は動かさないなど行動がエスカレートしていて見ていてイライラしてしまいます。
自分の仕事だけやって気にせずに居たいのですが、仕事中はどうしても関わらずにはいられません。
最低限で会話はしますが、私も大人じゃなくていけないのですが関わりたくなくて素っ気ない態度になってしまいます。
相手も私が良く思ってないのをわかっていると思います。
最初からトラブルメーカーだという先入観もあり、構えて接してしまっていました。
私がその人の良いところを見て普通に接して仕事は仕事で割りきれば良いのですが、最近はストレスがエスカレートして帰宅しても頭から離れずに思い出してはイライラします。
そんなことにとらわれずに仕事とプライベートをしっかり分けて過ごすにはどうしたら良いのでしょうか?
また、今後はその方とどのように仕事をしていけば良いのでしょうか?
その方はもう異動できる部署がなく(他の上司は受け入れを拒否しています)、だからといって私が異動を申し出るのは今やっている仕事を引き継げる人がいなくて難しい状況です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生の中でも大事な勉強の一つかも
「上司に責任を持って対応していただく」ことが筋だと思います。
上司が自分のところで責任を持つと言って引受けたのでしょうから、職場のチームワークが保てるよう、最低限の指示指導をしてくれなきゃ困りますよね。と言っても、実際には都合の悪いことから逃げてしまう管理職が多いのも現実です。上司が「50代の問題児さん」を或る程度指導して、せmて余計な口出しだけでもさせないようにしてくれれば、職場の雰囲気は違ってくるでしょう。ますは、問題児さんが居ない場で、みんなで上司に苦情を言い、改善を求めていかがですか?あなた一人でそれをやると、あなた一人が悪者にされる危険があるから、気をつけましょう。
職場経験が長くて、多少の問題行動があっても、それなりのスキルが有る方も居ます。一方で、職場経験が長くても、失礼ながら「給料泥棒ーッ」て言いたくなるくらい仕事が出来ない人も居ます。その問題児さんの場合、どちらに該当するのかわかりませんが、いい意味での経験値が有る方ならその部分には敬意を表し、状況によっては教えを乞えば案外人間関係がうまくいく場合もあると思います。
仮にまったくの役立たずの方だったとしても、完全無視して険悪な関係をつくるよりも、最小限の挨拶を交わしておいた方が無難だと思います。余計な介入された時は無視しても良いでしょうし、うまく上司に相談したり判断を仰いだりして被害を最小限にとどめましょう。
人生を送る上で、いい人だけに出会うことなんて有り得ません。仏教では四苦八苦と言う教えを説きます。求めることが得られない(求不得苦)、愛する人と別離せざるを得ない(愛別離苦)、そして、怨んで憎い相手に会わなければならない(怨憎会苦)という苦しみがついて回ります。ご遠慮願いたいと思ってもついてまわります。単に無視するよりも、うまい付き合い方、うまい距離の取り方を研究していきましょう。これからの人生の中で、嫌な同僚との出会いはいくつかあると思います。避けて通れないのなら、これも人生の中の大事な勉強の機会と受け止めて、より良い対処方法を研究していきましょう。
公私を交えずにその人を看護する
看護士さんは、患者さんに対して公私混同しません。
体の為に良くないことがあったら、相手のためにズバッと本当のことをいいます。
これはあなたの為には良くないからやってはいけない、と。
こびやへつらいが無いのです。相手に良く思われようと媚を売ったり、自分にウソをついたり、はつらいをしないこと。この精神をこそ道元禅師は「布施」と言っておられます。通常の布施とはまるで意味が異なるのです。
あなたは、その人が年上だから、というへつらいがあるのです。
「失礼ですが、以前の部署ではどういったことがおありだったのでしょうか?」
「失礼ですが○○さん、そういう接し方では、私は良い気がしません。ちょっと、そういう所を周りとの関係も考えて頂き、抑えて頂けるとありがたいです。」
いざという時は、それが原因であなたはどこの部署でも引き受けてもらえないんでしょ?とザックリ指摘してあげればいいんです。それが、公私のない看護スタンスなのです。
私もあなたに公私なしに伝えています。伝えるべき事を伝えないと、あなたも一生他人に迎合して生きてストレスになるでしょう。愚痴であってはいけない。
ちゃんと、あなたの人生を軌道修正しなさい。
それが私のできるあなたへの看護の道です。あなたはその人に対してでも、看護的スタンスで接すればよいのです。看護の愛は相手を選びません。最強の愛なのです。公私というリミッターを外しなさい。
誰にでも看護できるようになります。そしてその人も、あ、同じなんだと分かる事が出来ます。
何が同じであるかは後で分かります。
質問者からのお礼
遅くなりました。
ご回答ありがとうございます。
〉これも人生の中の大事な勉強の機会と受け止めて、より良い対処方法を研究していきましょう。
そうですね、これもひとつの勉強なのですね。
人生に起こることに無駄なものはない、捉え方次第である、ということを自分に余裕がなくて忘れていました。
今回ご相談したことで一歩引いて相手を見られるようになりました。
少し気持ちが楽になりました。
ありがとうございました。