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宗教の違い・受ける罰

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有り難し有り難し 38

小さな頃からお仏壇に手を合わせる習慣はありました
祖父母の家には毎月お坊さんが来てくれていました
しかし私はカトリックの幼稚園出身です
幼稚園ではイエス様マリア様にお祈りしてきました

月日が経ち祖父は亡くなりました
母は以前はお仏壇に手を合わせていたのですがいつからか熱心なキリスト教徒になり祖父のお仏壇にも見向きもしません
弟も別の新興宗教にのめり込んでいます
祖母はいつもそのことを嘆いていました

私は小さな頃から仏教に対してもキリスト教に対しても
何も疑問に思わずどちらも正しいものだとどっち付かずな生活を送ってきたと思います

その罰なのでしょうか
重度障害児が生まれました
言葉も持ちません意思疏通は不可能です
暴れることしかできず世の中から切り取られたような生活をしています

私はどうすべきですか?
今なにができますか?
わたしは死んだら祖父と同じ墓に入りたいのですがそれは可能でしょうか?
どうか教えてください


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

罰ではない

かなしみこさん、はじめまして。

かなしみこさんが聞きたいことがいくつかあるようなので整理してみます。
1.宗教に関してどっちつかずで生きていたことは罰なのか。
2.重度障害の子どもを持ったことは、罰なのか。
3.かなしみこさんが亡くなった後、祖父と同じ墓に入ることはできるのか。

私は、少し悲しく、残念に思います。宗教が違っても、罰を下す神も仏もいません。
ましてや、かなしみこさんが重度障害の子どもを持ったことを罰だと考えておられることは、何より私は悲しいです。

私の二男坊も知的障害を持って生まれました。自分のいいたいことが伝わらず、泣いて怒って、手当たり次第に暴れても誰も分かってくれません。父やである私にも分かってやれないことがあります。これは、天からの恵みだと私は思っています。もっと深く人生を生きなさいと私は神仏に言われているのです。

かなしみこさんのお子さんは、一生言葉を持たないかもしれない。一生意思疎通ができないかもしれない。それでもなお、愛そうとするのが親の愛です。キリスト教で、隣人を愛せよと教えられませんでしたか。身近にいる子どもを愛せなくて、誰を愛することができるのですか。

かなしみこさんの周りで起こっていることは、すべて罰ではありません。
愛するとは、どういうことかを問いかけられているだけです。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

>中村太釈さま
泣きながら読ませて頂きました
荒れ放題の家の中、毎日これは何かの罰だ何かの罰なんだと自分自身や他人を責めてきました。
しかし、それは只の逃げで、私はこの子と向き合うことをいつからか避けていた様に思います。
この子が生まれてきてくれた日のこと、初めて私の声に薄ら反応を示した日の事、初めて歩いた日。
どれほど嬉しかっただろうか
もう一度頑張ってみます。ご回答下さり感謝しています

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