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#死ぬ事が怖い

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。
でも、当時は漠然とした考えで
中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。

高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。

しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり
1人の時や夜中にふと目が覚めて
・両親がいなくなったら孤独だ
・兄妹はいるけど順番で考えたら
 私が最後か…
・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか
・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。
・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。

色々な不安が頭にぶわぁーっと入り
今までと比べ物にならないぐらいの
死への恐怖の波がきます。
私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると
同じような人がおり、安心するが
内容を読むと結婚していて子供がいてetc...

いやいや、結婚もしている
子供もいる、"家族"がいる。
生きた証を未来に繋げれる地盤が
あるのに…と、卑屈になってしまい
更に不安がこみ上げて泣いたり
不安で寝れなくなったりします。

両親や兄妹が去れば
私も終わりでいいかなって思うし
始まりがあれば終わりもある
と理解しているけど
グルグルと同じ事を考えてしまいます。

死への恐怖はどうしたら治りますか?
とは伺いません…。
ただ、言葉では言い尽くせない
この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか?

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去でもない、未来でもない、この瞬間を。

初めまして、お早う御座います。

私たちの身体は、何前年と様々な困難を生き抜いて来た先人・・ご先祖様だけでなく父母の願いや想い、そしてその生きてきた証なのです。父母の想いはいつでも見る事が出来ます。それはあなたの名前です。あなたは覚えてないでしょうが、あなたが生まれた日の出来事は決してお父様やお母様は忘れない出来事なのです。沢山の命と私たちは繋がっているのです。

思考や視野を広げて、執着する心を開放して見ませんか?

起きてない出来事をふと・・考えてしまうと、それらが不安や心配となり時には恐怖となってしまうのです。誰もが、明日が訪れる事や、明日の命の保証はありません。それを思うよりも、一度しかない人生と、二度とないこの瞬間を折角与えて頂けたのです。黙っていても時は留まりません。この瞬間を楽しく過ごをして見ませんか?

考え方や、不平や不満ばかりから・・有難うを心から増やすと、目の前に見えるもの全てに自然と感謝が出来て当たり前ではないんだな・・と言う事を心から感じ取れるのです。しかめっ面をしているよりも、笑顔で今を自分らしく過ごして見て下さい。今あるその心の問題は、必ず留まらずに動き出して笑顔が戻ってきます。私は過去に絶望に嘆いて順風満帆だった人生から突然、どん底に突き落とされただけでなく・・これでもか、これでもか・・と嫌になるほどの試練が次々と、何でこれほど私に!と言う出来事があり、それらに負けた事があります。命も絶った事があります。蘇生をされて、より苦しんで・・思考や視野を広げて、それらから這い上がって今があります。こんなに弱い私でも、夢や希望を捨てない限り逃げて行かないと言う事も、人生も運命も自分自身でいくらでも変えられる事を実体験をして来ました。あなたも必ずその問題よりも大切な物を見付けられます。宝くじが当たる何百倍もの奇跡が重なり、比較的に仕合せで恵まれた今を生きているのです。それぞれに生きる意味があり、無駄な命も無駄な出来事もないのです。気づきを与えて頂けた事を決してマイナスにとらえずに、心を見失ったり、惑わされずに。無理に自分を作ろうとせずに、自分は自分でいいのです。あなたにだけしなない良さを輝かせて、この瞬間を素敵な笑顔でどうかお過ごし下さい。いつでも苦しい時はここに来てください。あなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。

合掌

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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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死ぬことを考えるのは、生きることを考えるのと似ています。まったく別の事のようですが、そこの表裏は一体だと思っています。
死は、最終的には誰にでも訪れるもので、避けられません。ご両親も、ごきょうだいも、自分自身も、いつかは死んでしまいます。
その時に、誰かを道連れにすることはできません。誰でも、死ぬ時は孤独なのです。どんな成功者でも、お金持ちでも、死んでしまう時はひとりです。見送ってくれる人がいても、それは娑婆の世界でのことです。その後についてきてくれる人はいません。

だから、死ぬときの孤独を考えるのはやめて、生きている現在を充実させ、生きるよろこびを見つけることで、現状の孤独を解消する方が重要なのです。なぜなら、それなら自分の力でどうにかなる可能性があるからです。

自分の人生を生ききり、満足できる状態に近づけば近づくほど、「死んでも悔いはない」という気持ちがわかってくるのではないかと思います。
人生の目標を見つけ、それに向かって邁進することで、いつしか死の恐怖など消えてしまいますよ。

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佐山拓郎
浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリー...
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