素直に仏法を聞けない
お世話になっています。浄土真宗についてですが、僕は仏法を素直に聞くことができません。例えば、人間だけは救われるという内容です。まさに、ヒューマニズム的な考え方で、納得がいかないのです。絶対的真理には、分別はないんじゃないかと。太陽が善人にも悪人にも(世間の善悪)日を当ててくれるように、全てのものが救われるのが絶対的な真理だと思います。なのに、人間だけが救われるのはおかしいじゃないかと思うのです。そう考えると、道元様が言うように「衆生は仏性の中にいる」という考え方が一番府に落ちるのです。だが、人間の煩悩は消えないという考え方については納得しています。なんだか、他の宗派と混合して考えてしまわないと、納得ができないのです。
僕はこのまま仏法を聞いた方がいいのでしょうか?そうすればいつか納得できる瞬間がくるのでしょうか?
HSP気質で生きづらく、人目を気にするあまりすごく不器用な人間です。 しかしデメリットばかりではなく、生きづらいからこそ、生きづらさを解消するために色んな本に手を出しましたし、仏教に出会うことができました。 人生において様々な悩み事があり、お坊さんのご意見やアドバイスをいただきたいと思いました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類も
こんにちは、前回もお答えさせて頂きましたね。
人間だけが救いの対象、とは限定されていません。
『大阿弥陀経』というお経に、救いの対象は「蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類」も、とあります。つまり、人を対象とすることは勿論のこと、蜎飛は飛び回る小虫、蠕動は地にうごめく蛆虫まで対象としている、ということです。
「第四に願ずらく、〈某作仏せしめん時、わが名字をもつてみな、八方上下無央数の仏国に聞かしめん。みな諸仏おのおの比丘僧大衆のなかにして、わが功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民、蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ〉」と。
理屈を整理することも大切ですが、聴聞は理屈を聞くものではありません。
どんなものをも、そしてなによりこの私を救うために、阿弥陀様は仏様にお成りになったという事実を聞かせていただくのが聴聞の目的です。その慈心、お慈悲をまず聞かせていただきましょう。
ご参考まで。
動物には理解できない真理がある
たとえば、水をいったん沸騰させて殺菌してから飲んだ方が下痢になりにくいです。
これは、自然の法則、いわば真理です。
しかし、その理屈を犬や猫は理解できません。
悟りの智慧、悩み苦しみを軽減するテクニックの理解も、ある程度の理解力がないと悟れません。
お釈迦様の時代に、子供でも悟った人はいます。
しかし、動物には悟れません。
極楽浄土には畜生はいないので、動物でも、来世で極楽浄土に往生できれば、悟る能力のある人や天になれますが。
人に生まれることは稀有。
しかも、仏法に出会えることはさらにレアなのです。
質問者からのお礼
願誉浄史様、回答ありがとうございます。なるほど。たしかにある程度脳が発達していなければ自力の場合の悟りは開けませんよね。人間に生まれた事、そして仏法に出会えたことに感謝致します。回答ありがとうございます。
釋悠水様、前回に引き続き、回答ありがとうございます。
やっぱり全ての衆生は救われますよね。そうじゃなければ阿弥陀様ではありません。他力の場合は、もはや理解力の問題ではないと思うのです。阿弥陀様からの一方的な働きなのですから。
回答ありがとうございます。