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何故、分骨などあるのでしょうか

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有り難し有り難し 12

久々にお世話になります。まだまだ、整理がついていない中、色々と先を考えないといけないと思う自分もいます。

お墓をきちんと作ってあげた方がもっと楽になれるかなーと…。
今、家にあります。お墓は?と子ども達に聞かれる事もありますが、まだそばにおいておきたい自分の気持ちが先にいます。

前に…分骨もあるのよ、、という姑の意見をとおさないといけませんか… ︎。
私は、旦那を二つに分ける…って事は絶対したくないです‼︎意味はあるんですか?

旦那が亡くなった後の、納骨を決めないといけないのですが…旦那のお父さんの納骨は、県外にあります。ですが、旦那の納骨は、自分達の近くにたてたいと思っています。

それを姑に話すと、きっと、お父さんのとこに‼︎と言われそうです。

でも、子ども達もすぐに行ける近くがいい!と言ってますし、私もそれをするつもりです‼︎

姑は、お父さんのいる納骨の場所から離れてるものの、県内です。
まだ姑が亡くなってもないのに、お父さんも旦那と同じとこにする!って話しても絶対反対されます。
権限は私ですよね?
どうしたらうまくいくか…

アドバイスお願いします!


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

手を合わせる場・対象としての「象徴」

ご相談拝読しました。納骨の方法・お墓の場所等についてお悩みですね。

分骨についてですが、遡るとお釈迦様のご遺骨も分骨されています。お釈迦様を慕った八つの国の王がやはりご遺骨の分与を求めたのですね。

さて、矛盾するようですが、私的には納骨の意義というのは、お骨という「形あるものへの執著を離れる」=「気持ちの整理・区切りとする」ことだと思います。

この肉体のある命は仏教では迷いの象徴です。亡き人はもうそうした迷いの身を離れていった存在です。

有名な歌でも「お墓に私はいません」的な歌詞がありますが、上記のような意味として受け取れるでしょう。

では、お墓や・お骨は何かということになりますが、これもやはり象徴なのです。生きている私たちは形あるものしか認識できません。姿形を超えていった亡き人ではありますが、そうすると残されて生きている私たちがどこに向かって手を合わせていいかも分からないので、お墓やお仏壇がその象徴としての役割を果たしてくれるのです。

形あるものへの執著を何らかの形に向かって手を合わせる中で離れているというのは矛盾する様ですが、そうするしかできないのが人間の心理構造でしょう。

ですから大切な人のお骨が誰かと争う手段の様になってしまうのは本末転倒です。あなたにとってもご主人が大切な人であるように、お義母様にとってもやはりそうなのです。
お墓の維持管理やお参りの利便性などの現実面を考えるといたずらに分骨することをオススメはできませんが、よくお話し合って、それぞれが象徴として手をわせる場所を持てるようにすることは大切なことでありましょう。

納骨の遅い・早いや場所等によって亡き人が成仏できないとか、悪い事があるとか、分骨によって亡き人も二つに分かれてしまうとかそういうことはありません。

納骨によって気持ちの区切りとなることは大いにありますが、区切りの兆しも見えていない内に納骨してしまうことで逆に気持ち的にも現実的にも問題が生じてしまうこともあり得ます。

「そばにおいておきたい」というお気持ちは当然のものですが、それは「お骨=亡き人」というところをまだ超えていけない表れでもあります。

もう少し時間をかけて考えたり話し合ってもいいかもですね。こういう時お世話になる特定のお寺さんがいるのが一番良いのですが…。ハスノハでもかまいませんのでまたご相談ください。

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「納骨」問答一覧

祖母を火葬しました

先日、祖母が亡くなりました。 火葬場で働く私は、自ら希望して祖母を火葬し、きれいなお骨となって収めることができました。 孫である私に火葬されることについて、親戚や知り合いからは「とても良いことだね、ばあちゃんも喜んでいるよ」、「そこまでしなくても」等、様々な意見がありましたが、お坊さんは身内が身内に火葬されることについて、どうお考えになるかお伺いしたく思います。 祖母については、私が生まれた時からずっと一緒に、一つ屋根の下で暮らしていました。いつも優しく元気で、自分より他人を優先する祖母でした。怒られたことは1度もありません。亡くなる数か月前から入院をしており、私がお見舞いに行った1週間後に亡くなりました。 大変お世話になった祖母を自ら火葬したことについて、後悔はしていませんが、ふとした時に「ばあちゃんは孫に火葬されてどう思ったかな」と考えることがあります。理由は、祖母は認知症が進んでいたこともあり、火葬場で働いていることを私が伝えていなかったからです。認知症は進んでいても、話の受け答えは問題ない時期もありましたので、火葬場で働いていることについて、祖母はどう思ったのか聞いておけばよかったと、今になって少し気になっています。 お手数をおかけしますが、ご回答をいただけると幸いです。

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父の納骨について

昨年、父が80歳で他界しました。 残された母の住む実家から、車で2時間半のところに父の故郷があります。父は長男で2人の姉も嫁いでおり、田舎の家は人手に渡り親族は住んでいません。その田舎に先祖代々のお墓があります。すぐ近くの小さな墓地で町内の方が管理されているようです。 すでに遠方に嫁いでいる私の負担を考えてか、父は生前田舎の墓じまいを考えていましたが、自分のお墓はどうするのか決めかねていたようで、本人の意思は聞けないままでした。結局、母の意向で母方の親族が供養されている都心の大きなお寺の納骨堂へ納骨しました。 月命日に母とそのお寺にお参りに行っていますが、今になって田舎のお墓にも分骨してあげればよかったと後悔しています。物忘れが激しくなり急に頼りなくなってしまった母も、「前にも言ったと思うけど…」と定期的に父のお墓のことで後悔を口にします。 今、私の家には手元供養にと片手の掌に乗るほどの小さな骨壺の中に少しだけ父の遺骨があります。その遺骨を父の田舎のお墓に納めて、墓石に名前を彫ることができないかと今頃になって真剣に悩むようになりました。すでに納骨堂へ納めていること、お骨が少量であることから、納骨式は行わずに石材店に依頼して納骨と彫刻だけお願いできればと考えています。その地域の石材店に電話で問い合わせたところ、最近はお寺さんにお経をお願いしない方もいますよとのことでした。 そのお墓は近くに住む父のいとこが墓守りをして下さっており、私達も毎年お盆にはお参りしています。 自己満足のための非常識な行為にも思えますし、親戚に相談したらどう思われるだろうか…と考える一方で、ほんの少しのお骨でも祖父母の元に帰してあげたら、父も祖父母も喜んでくれるのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。 もう納骨を済ませたのだから、このような行為は控えるべきでしょうか? 長々と申し訳ありません。よろしくお願いします。

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