立ち上がる気力も動機も、もはやない。
朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。そう信じてきた。
思春期の到来と同時に、心の裡にある虚無感と自殺願望に気付いた。
人は無意味に生まれ無価値に死ぬ。だが今死ぬのも怖い。生きるに足る何かを自身で見出さねばと決意してから20年が経った。
何度も膝が屈した。
不登校になり高校は辞めた。だが、何かを見出すためには外と接点を維持しなければと高認を受け大学へ行った。
就活に折れ何年も家にこもった。それでも社会に出て広がる視野もあるだろうと公務員になった。
虚無感も自殺願望も消えてくれなかった。
情熱は無く、熱意は無く、意欲は無かった。
心理学や哲学をかじった。アドラーとニーチェは劇物だった。
ある日唐突に恋人が出来た。歓喜した。無辺の海原を彷徨うが如き人生に、共にゆく同志が現れた!
彼女もまた人生に悩んでいた。陰鬱な話題も多かったが、共に解決していけると信じた。
別れを切り出されたのも唐突だった。
何を間違えたのだろうか。
仕方ない。それが彼女に必要な事ならば身を引こう。どうか幸福を掴め。私は応援したい。そう伝えた。
「応援とかいいから。とにかく別れて」
それが返答だった。
愛おしいのに憎い。「愛憎」の意味を知った。
人はこうも真っ直ぐに他人を呪えるものか。人はこうも醜くなれるものか。
親らしいことを何一つせず消えた父にも、いじめパワハラを繰り返されたかつての同級生や職場の上司にも、こんな憎しみは抱かなかった。
結局、罵詈雑言の応酬で15ヶ月の泡沫の夢は醒めた。
出会いがあれば別れがあるもの。でもきっと次の出会いが。恋愛は人を成長させる。
そうなのかもしれない。
痛みを知るからこそ人は優しくなれる。
仰るとおり。
癒やされるには傷が必要で、幸福を知るには不幸が必要で、善行を成すには悪行が必要だ。
出会いにはもれなく別れがついてくるし愛情と憎悪は表裏一体。
満たされるには、飢えていなければならない。
生きるために死に、死ぬために生きる。
もうたくさんだ。
得れば失う。そんなものは賽の河原だ。穴堀の拷問だ。
夜明けは無い。掴んだと思った幸福は手から零れていった。
海原だと思っていた人生は無間の闇だった。
20年足掻いてはみたが、いい加減幕を引きたいと思う。
朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。それがただの夜であるならば。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛は自分の思い通りにしたいという欲であり、憎悪の怒りは自分の思い通りにならない苦しみである。
それらを捨てて慈悲で接することが仏様の教え。
慈悲とは相手の幸せを願うこと、そして相手の苦しみを取り除くこと。
慈悲を持っていれば振られても喧嘩にはならない。
たとえ明けない夜であっても慈悲という月の光でこれからの人生の道を照らして歩んでください。
拝読させて頂きました。
あなたが今までまで歩んでいらした人生は辛いことも悲しいことも苦しいこともあったと思います。あなたの心がくじけてしまうこともわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
今あなたの心は何度も何度もはねかえされて心身ともにくじけて疲れ果ててしまったのではないかと思います。そのような状況では再び立ち上がり気力もなくなってしまうかと思います。
一度ゆっくりと立ち止まり一息ついてできるだけ休んでみてはいかがでしょう。今あなた自身のことや過去も未来についても考えてもなかなか光を見出すことは難しいかと思います。
とりあえずは自分の心も身体もゆっくりと休めてみてどうぞ緊張や追い詰められた心をゆるめてみてはいかがでしょう。
そしてあなた自身を癒してみて英気を養ってみて下さいね。
今世の中も社会も世界も大きな恐怖や闇がおおっています。このような状況では動くよりもゆっくりと立ち止まり様子を見て頂くことが大事だと思います。
どれ位かかるかはわかりませんが必ずこの不安や恐怖や闇は晴れていきますからね。
明けない夜はありません、雨や雪や嵐の時もありますけれども必ず過ぎ去りまぶしく降り注ぐあたたかい太陽の日が昇って参ります。
以前私も病いで入院していた時がありますけれども、その中でただただ朝日が昇って降り注いで来た時に、ただただありがたいと思いました。
あなたにも必ずあたたかい太陽の光が降り注ぎます。
しばし腰を下ろしてゆっくり休んでみてから仕切り直してみてまたあがいてみて下さい。
あなたのこれからの人生があたたかい光降り注ぎ豊かな実りある毎日となりますようにと切に祈っております。