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これで良かったのか

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初めて投稿します。よろしくお願いします。

3月初旬に父が亡くなりました。癌が見つかってからわずか半月で旅立ってしまい、亡くなった現実をまだ受け入れられずにいます。
先日四十九日を行いましたが、父の兄弟は新型コロナが蔓延していて外出自粛要請も出ている中、行けないと連絡があり、両親は幼い頃離婚している為に母方の方も来ない、私は一人っ子の為兄弟姉妹も居ないので私と子供達だけではと思い、父が生前とても仲が良かったお友達数名を招いて父も交えて食事をしました。
四十九日が終わった今、果たしてこういう形で良かったのか、ちゃんと供養出来たのか、成仏されてるか気になっています。
大好きな父だからきちんと供養したいと思っておりますが、父とは話すことが出来ないのでどう思っているのかも気になるところです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

形ばかりに心を奪われないでください。

初めまして、今日は。

今、困難と言う人生の嵐が猛威を振るい・・私たちの大切な命を奪い、多くの御霊方が空高く舞って行こうとしています。それらにより、今までのような生活などが出来なく制限され、憎んだり、怨んだりする事だと思いますが・・それよりも多くの気付きや、当たり前という事はないという事など私たちが忘れてしまっていた様々な出来事を原点に返らせてくれるきっかけをあたえてくれているのではないでしょうか?

私はとても大きな十字架を2個、背負っております。病魔に奪われた妻と過去に生きていた私を救い出そうと純粋に見返りない心で接してくれた彼女です。当たり前のように日々を過ごし、様々な出来事を忘れてしまって感謝すら忘れかけていた時、順風満帆な人生を絶望以上のどん底に突き落とされ、這い上がろうとすればするほど、幾度も突き落とされて来て負けた事もあります。それらから多くの気付きや学びを頂いて、過去でもない、訪れていない未来をふと・・思って不安や心配になるよりも、二度とないこの瞬間を私たちは生きています。

命は亡くなったら終わりではありません。霊魂は愛した家族と共に命の時間を一緒に過ごし、思い切り泣いて想い出に寄り添って思いに共感をして過ごします。それらには制限はありません。お互いがもう大丈夫・・そう思った時にそれぞれが新たなストーリーを歩み出すのです。

そして、御供養とは・・どれだけお金を掛けて人を集めて立派に行う事では決して御座いません。例え、お坊さんを呼ばなくても・・立派な祭壇がなくても、どんなに下手なお経でも純粋な心でお唱えすれば、必ずその心や願い想いは届くのです。それが大切なのです。あなたの想いも願いも・・しっかりとお父様はお受け取りになられています。側に寄り添ってその事に有難うと微笑んで応えてくれています。

手を合わせれば、お仏壇などが無くても時空を超えてその思いは届きます。新たなストーリーに向けて歩み出しても、祈ればお父様が隣に現れて微笑んで応えてくれます。あなたが人生という冒険旅行に迷うことなく先導をされ導いてくださいます。大切な気づきや、託された想いや願いを成就されて笑顔を徐々に取り戻してあなたらしくこの二度とない瞬間をあなたらしく過ごされる事を願っているのです。
あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めます様に。お父様に心から・・南無大師遍照金剛 合掌

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おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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それで良かったのです。

今の情勢下では
そういう形式でしかお勤めできませんし
ちゃんとご供養出来ています。
もう仏さまに導かれて
お浄土で成仏されています。
あなたの想いも届いていますよ。
ご安心ください。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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暖かみを感じます

はじめまして。
悲しい中にあっても、真面目に丁寧にされたご様子が文面から伺えます。
物事というのは逆の表現をもって現れてくるもので、これで良かったのだろうかと思われるのは誠意を尽くしたからではないでしょうか。

お父さんが成仏された・どのように思っておられるかも気になりますね。その事を通じながら、悲しみを通しながら何がそこから呼びかけられているのか、お考えくだされば幸いです。

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おきもち

社会を上手に生きれない方々とご縁があります。 悩む姿に共感を覚えます。 ...
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質問者からのお礼

桃川様、永寛様、和田様

とてもあたたかいコメントありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。

コメントを読み気持ちがとても楽になりました。
四十九日までにはこれをする、四十九日法要はこうしなければならないと分からないなりに調べた事が絶対になってしまい、その通りに出来なかった事でこれで良かったのかと不安でした。
どんな形でも父に想いは伝わっているとの事、とても安心しました。寂しいですが前を向いて歩んでいこうと思います。

また不安な時は相談させてください。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

殺された方の魂の行方

以前、知人を傷つけてしまったとして相談させていただいた者です。 後悔の念を自分の中で消化して少しずつ前を向いて生活できていましたが、その一方で自分が幸せになることを許せないという思いが膨らんできました。 僕は昔から他人の悲しみや怒り、苦しみといった負の感情が苦手でそれらを回避することに全力を注いできました。 かといって、優しさや思いやりを分け与える勇気もなく、ただただ余計な自我を出さないように生きてきました。 僕にとっての幸せは「誰かを傷つけないこと」で、大きなトラブルを起こさない人生に誇りを持っていました(自分の努力というより、周りの方が許してくださったおかげだと思います)。 しかし、今回の一件で全て崩してしまいました。 ここまでの強烈な体験は二度と忘れられない人生の汚点です。 もう僕は幸せになることはできません。 なってはいけません。 やりたいこと、食べたいもの、欲しいもの、行きたい場所、何も思いつきません。 強いて言えば、ただただ横になりたい。 もっと欲張るとそのまま二度と目を覚ましたくないのです。 しかし、安易に自殺をしてしまうと迷惑がかかります。 それは望みません。 世の中には人の命を奪いたくて仕方のない方がいらっしゃいます。 「誰でも良い」とおっしゃるのであれば僕は自分の命を差し上げたいです。 ここから本題に入ります。 誰かに殺められた人間の魂は死後どちらへ向かうのでしょうか。 あまり考えたことがなかったため、よろしければ皆様の知見をご教示いただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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罪をたくさん犯しても、天国へ行けますか?

わたしは、たくさんの罪を犯してきました。保育園にいた時、虫が苦手で踏んでしまったりまっすぐ歩いたら、他の子に気づかず、ぶつかってしまったり、もしかしたらわざとぶつかったりしたかもしれません、小学校の時には、人とは違う行動をとりすぎて、股のところに、手を動かしたり、バケツの水のちょっと高いところに、やって、水を絞ってみんなから嫌な思いをさせてしまったり、嘘っていうのはどんなものかと、好奇心を持ってたくさん嘘をついたり、嫌われてしまったり、欲しいゲーム機やカセットを盗んだり、殴られた時に殴り返して、少し問題になったり、ストレス解消に友達の耳を近づけて大声を出したり、わざと帰りに友達とランドセルを突き飛ばして帰ったり、常識がなさすぎていじめられて嫌われて、中学生の時にはいじめに耐えられず机を投げたり、心の中で体罰されたのを恨んだり、物を隠したり、高校でも、自分の利益のために嘘をついたり、酷いこと言われて、クラスメートのパソコンのデータを消したり、専門学校に入っても怠惰でめんどくさがったり、彼氏ができても、不満があって、話し合いしても、ああ、うるさいと言われたり、ドタキャンされて我慢して、浮気したり、それが三股でやめられなくて、将来誰と結婚したらいいだろうと、3人ともキープして、そこから一人選んで、結婚して、浮気しないように努めようと思ってしまってます... こんなわたしでも、天国には行けるでしょうか...やっぱり地獄でしょうか...

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死んだ人が何を思っていたのか知りたい

初めてこのサイトを使用させて頂きます。 お忙しいお坊さん達の労力を私が奪って良いのかと不安ですが、宜しくお願いいたします。                                         私はプロフィールにある通り、長いこと摂食障害を患っています。 そのせいで母はとても苦しみ、母が亡くなる一年前には祖母の自死(母が第一発見者です)もあって、私が22歳の時にくも膜下出血で急死してしまいましたが、くも膜下出血になったのはやはり私のストレスが凄かったからだと思っています。母が死んだのは私の事で悩み苦しみ過ぎたからです。                        母は、摂食障害で痩せて歩くこともできなくなった私に「悲劇のヒロインになるな」「もう勝手に死んで」など、そういった言葉をよく投げつけていました。 今思えば、母もいっぱいいっぱいだったからだ思うのですが 母との思い出は、楽しかった事はひとつも思い出せなくて、怒られたことや何故あんなことを私にしたのか等、苦しい事だらけです。                                当然、もう母になにか尋ねることはできません。 母が近くにいるとも思えません。 よくお坊さんは、亡くなった人は近くで見守っていると仰いますが、そんな風に思いたくても思えないのです。                                                                     無理とわかっていますが、母が何を考えて何を思っていたのか知りたいです。 母の姉(おば)は、母は私を愛していたはずだと言いますが、母親としての責任があったから愛しただけだと思っています。 死んだ人の考えていたことや思いは、もう知ることができないですよね? もう諦めるしかないでしょうか。涙が止まりません。 諦める良い方法あれば教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 8
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あの世について無記と言う姿勢は正しい?

あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ