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仕事で接した人への後悔と懺悔

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

こんにちは。
私は以前、障害のあるお子さんと関わる仕事をしていました。その仕事を選んだのは、大学生のときに障害のあるお子さんと接する機会をいただき、そのかわいさに惹かれたためです。

初めの2年間は仕事が楽しくて楽しくて、天職だとおもっていました。しかし、責任のある立場になり、仕事量が増えてくるととたんに気持ちが追い付かなくなりました。

厳しくし過ぎてしまい、来られなくなってしまった子もいました。保護者からはクレームが来ました。自分がお子さんのために良かれと思ったことが保護者に真意が伝わっていなくて、思ったよりも出来るようにならなかったりしました。
段々、お子さんのことも嫌いになってきてしまい、毎日「私は一生懸命やっている。悪いのはお母さんがちゃんと家でやってくれないからだ」とイライラしながら過ごしました。産休に入るときに、自分は向いていなかったと思い、思いきって退職しました。

そして、その後、出産しましたが、私の元に生まれてきたのは障害のある娘でした。

障害のある子を育ててみて、初めて大変さを知りました。こんなに大変なのに、あのお母さんたちは頑張って育てて毎日生活していたんだ、と思うと、自分が保護者に言ったことや感じたことが本当に申し訳なくて、恥ずかしくて…。

自分は「仕事が向いていなかった」で逃げられたかもしれないが、子どもや保護者にとっては、私が担当になった時間を無駄にさせてしまった…子どもにとっては大きな大切な時間を…という後悔と懺悔が頭から離れません。

資格をもっているので、娘が利用している福祉施設からは働かないかと誘われますが、もう、私は一生、同じような仕事につく気はありません。
娘と接していると、すごく責められている気持ちになり、昔教えていたお子さんの顔が思い浮かび、涙が出ます。

どうしたら良いでしょうか。
いつまでたっても、忘れられません。

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あえて言わせていただきます。
大丈夫ですよ。
今まで十分、自分を責めてこられた。
もう責めなくてもいいですよ。
自分を責めるより、大事にすべきことがあるはずです。

ご質問文、拝見しました。
繰り返し、拝読しました。
私も知的障害者の支援事業所に勤めていた経験があります。
あの時かかわった皆さんは、もしかして僕じゃない誰かと過ごした時間のほうが幸せだったのじゃないか。
そういう後悔の念は、今もずっと抱えています。
自分を責めるより、他者の健やかさと幸せを願いませんか。

私が当時の職場を離れて15年余り経ちます。
私がかかわった方の何人かはいろいろな事情でこの世を去っています。
そういえば、明日も当時の仲間だった一人の命日になります。

以前、送迎の帰りにとあるお母さんから、親ではどうしてもできないことがある。
職員にしかできないことがある。と言われたことがありました。

優しさと甘さは異なるものです。
厳しさと冷たさも異なるものです。

回答なのか、文にふれての感想なのか、乱文になり申し訳ございませんが、
かつての担当者、スミさん様、お子さまの健やかさを願ってくださることを祈っています。

++++++
早速のお礼ありがとうございました。

障害者福祉から児童養護、保育園に場を変えたフルタイムワークから降りた一昨年より、障害程度区分の審査会委員をすることとなりました。
20代よりも覚えにくく忘れやすい47歳の頭で、障害者福祉、学び直してします。
そんなタイミングで、ご質問文をいただき、わたしの琴線にふれた部分もありました。

ありがとうございました。   
時節柄、ご自愛くださいませ。      泰庵 拝

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
お答えを読んでいて、涙が出ました。
大丈夫だと言っていただけたのが、とても嬉しかったです。

後悔する気持ちは変わらず、忘れることはできませんが、自分を否定する方向ではなく、子どもや保護者の幸せを願っていくことを心がけて行こうと思います。
心が暖かくなりました。
ありがとうございました。

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