賢いとは
私はよく、優しくて賢いと言われます。けど、賢いって何だろう?って思っています。
頭が良いわけでもありません。
学歴も職業も良いわけでもありません。
唯一、周りの雰囲気や表情の変化には敏感に感じとることはできます。けど、それはとても疲れます。雰囲気を良くしようとして、自分の感情を抑えたりとか、気を遣ったりとか…それが賢さなら、喜んでいいのかわかりません。
人間としての賢さ、生きている意味の賢さとは何だと思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
分からないことを「分からないままにしない」こと。
『人間としての賢さ、生きている意味の賢さとは何だと思いますか?』
見方によると思うのですが
根本的にはやはりまず、
分からないことは「分からない」って言えることだと思います。
私は思い込みしやすいタイプだと、よく先輩からもご指摘いただくのですが、
やはり人間知らないことでも、ああじゃないかこうじゃないかと類推することが好きな人は多いと思います。
しかしながらああに違いないこうに違いない、
私はお前よりよく知っている、というところまでいってしまうと、
知識は豊富でも、賢いとはいえないのかもしれません。
「私にはよく分からない、だれか教えてくれ」って
人から物事を教わるのがうまい人っていると思います。
そういう方はきっと賢い方なのでしょう。
すなわち
『賢いってなんだろう』って尋ねたふしぎさんのように。
賢いことを喜んでいいのかどうかは分からないです。
それは、その賢さをどう生かすかというところにかかっているのでしょう。
そこから先はふしぎさんにどうか考えていただきたいと思います。
分からないことは「分からない」っていえること。
これがまず賢さの原点ではないでしょうか。
ただしですね。
私の回答を文字通り受けとって
「じゃあ、俺は分からないことは『分からない』って言える人間だから、俺は賢い人間なんだな」って言う人がいたとしたらですね。
その人はたぶん賢い人間じゃないですね。
やはりそこからもう一歩進んで
『分からないことは「分からないままにしない」人』。
それが出来る人こそが「真に賢い」人間だと思います。
誰もかれもがそこまで賢くなれるわけはありませんから
そんな人こそを私たちは敬い、教えを乞うべきなのでしょうね。
南無釈迦牟尼仏 合掌
楽に生きられること。
賢さの基準はいろいろあります。
収入とか
人間関係とか
学歴とか
仕事の能力とか…。
でもそれらも
当人が幸せに感じていないなら無意味です。
あなたはきっと
人当たりも良いし
仕事もちゃんとできるし
周囲からは尊敬されているのでしょう。
でも
あなた自身が幸せを感じていないから
周囲の評価にギャップを感じているのでしょうね。
質問者からのお礼
お忙しい中、私の質問に答えて頂きありがとうございました。
周りからの評価が余計に私を縛っているような気もして、楽には生きられません。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。と親から言われて育ちました。それもあるかもしれません。
自分が楽に生きられる方法を、探していきたいです。
ありがとうございました。