過去の過ち
私は今までいくつもの罪を犯してしまいました。
飼っていたハムスターの世話を親に押し付けました。
何度も嘘をつきました
クラスメイトにイジメしてしまいました。
友人との交換日記を疎遠になった時に勝手に処分しました。
盗みを働いたこともあります。
ハムスターはすでに他界。
嘘は数が多すぎて、覚えていないものもあります。
いじめをしてしまった相手とは、学校は今も同じですがこのご時世ですので直接は謝れません。
交換日記は処分したことを相手は知りません。
盗みは全て謝罪をして、許しをもらいました。
これだけの罪を犯した私は夢を持って生きる資格はないのでしょうか。
そしてやはり死後は地獄で罰せられるのでしょうか。
申し訳ないことをしてしまったと思っていながらも、自分の将来、死後のことを考えてしまう私に腹が立ちます。
これから私はどうすればいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
焦らず考えて行きましょう。色々な僧侶の意見を聞いてみて下さい
相談者様は誠実です。真剣に悩んでおられる。あなたは自分が悪い人間と言っていますが誠実だからこそ、振り返ることが出来るのです。
お釈迦様の言葉を紹介します。「無慙愧は名づけて人とせず。慙愧ある者を人と名づく」罪に対して痛みを感じ、罪を犯したことを恥じる心が慙愧です。慙愧がなければ、人と呼ぶことはできないと言われているのです。誰かを傷つけることは確かに問題です。また、傷つけまいと思っていても、傷つけてしまうこともあります。それが人間の真実です。しかし、そのことをどう受け止めているのか、これはもっと大きな問題です。あなたは、今罪を恥じ後悔していると思います、立派な人間だと思うのです。罪を犯すのには様々な条件があります。
人間悪を犯したり失敗したりしたらダメかといったら、そうではなくて、罪を背負ったとしてもそこからどう生きていくかが大事なのです。
でも、なるべく正しく生きたいですね。お釈迦様は私達に「五戒」という教えを残されています。それを守ることで、自分自身を大切に出来るという決まりです。これは守れなかったから罰せられるとか、罰が当たるとかいう事ではありません。罪を犯すのを防止してくれる教えです。五戒は、不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒。例えば不殺生は、生き物の命をむやみに奪わないという事です。これは殺すことで自分が辛くなるからやめなさいと釈尊はいうのです。例えば、ベトナム戦争で沢山の兵士が心の病気になりました。人を殺した心の傷みでPTSDという病になったのです。不妄語…人は心の深いところで本当の事を語りたいと願っています。不邪淫戒は、相手を物の様に扱わないという事です。相手を本当に尊重するという事。これは全て、完璧には守れないです。でもこの教えがあると、破った時に気づけるのです。申し訳ない悲しい生き方をしたなと。その度に懺悔し少しずつ、それを直していく。それしか我々にはできません。でもこれがあると無いでは大きく生き方が変ります。気づいた事から直していく、これからです。したがって、悪いことをしたから地獄に落ちるとか、楽しく生きる資格がないということはない。気づいたときにどう直していくかが大事です。気づいていて、悪いことを続けたら自分自身が辛くなってしまう、だからやめなさいと仏教は言うのです。
【参考図書】戒律のはなし(ひろさちや)、ブッダと親鸞-教えに生きる
質問者からのお礼
釈義行様、回答ありがとうございます。
これ以上同じ過ちを繰り返さないようにしていきたいと思います。
ですが、これまで犯してしまった事で迷惑をかけてしまったり、傷つけてしまった人に対してできることは無いのでしょうか?