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空っぽな人間

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

初めまして、失礼致します。
私は空っぽな人間です。

小さい頃は、趣味や楽しい事に溢れた生活を送っていました。

しかし、塾通いが始まると、双子だったため家計に負担がかかり、母がヒステリック気味になってしまいました。

私と双子の姉は塾が家から遠かったため遅い時間に帰って来ると、待ち構えたかのように母に「なんのために働いてんだか……」等々、主に金銭面のことで怒鳴られる日々を送っていました。

その上、双子の姉の方が成績が良かったためか、周囲に大事にされていました。

私は、元々あまり心が強くなかったようで、殆ど影響を受けなかった姉と違い、徐々に自分に自信を無くしていき、それと同時に物事をシビアに捉え、何をしても楽しいと感じられない人間になってしまいました。

世間一般では、頭の良いとされる高校に入り、長年通っていた塾もやめ、母もヒステリックではなくなりましたが、上記のような症状は悪化の一途を辿っていて、日常生活に支障をきたすようになってしまいました。

両親や双子の姉は「あなたよりひどい人はもっといる。」とまともに相談にのってくれません。

最近、体が意思と反して動きずらくなっていて、やらなければならない事も出来なくなっていてます。

私はまだ母が言うように正常なんでしょうか……
私は何を目標に生きていけばいいんでしょか……

考えても考えても空っぽの頭から何も出てきません……
目標だけでなく好きなことも、やりたいことも……

ただただ焦るばかりで、辛くて辛くて
でも、何も出来なくて……
苦痛だけの日々だけが続いていて、もうさっさと死んで逃げ出したいです……

私はどうすれば良いのでしょうか、どすればこの生活から抜け出せるのでしょうか……


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

勇気をもって蓮の葉に相談してくれて有難うございます。

相談を読み、どれだけあなたが、辛かっただろうかと想像し胸が痛みます。生きててもいいのですと伝えたいです。相談相手がいない、いても相手にされないとのはとても辛いですね。姉妹より大事にされていないのではないかという感覚はすごく苦しいと思います。

正直、私はお母さんに対してひどいなという感想を持ちました。それは、親は子供に「なんのために働いてんだか」など言ってはならないし、ヒステリックに怒ってはならないと思うからです。誰か他の人と比べてもいけない。子供は生まれたくて生まれたのでも、選んでその家に生まれたのでも無い。子供の存在を大人は、本来無条件で認めてあげなくてはならないと思う。子供が成長するに従い、大人はそれを忘れ、自分の願いを子供に押しつけます。そうすると子供は伸び伸び成長できない。だけど、これは理想で、多くの場合何かしら欠点を持った親の元に生まれざるを得ない。難しい家に生まれた子供は、誰かの力を借りながら、自分自身で自分のケアをしたり、心に空いた穴を埋めたりする作業をする必要があるのかもしれません。私自身結構大変な親の元に生まれました。回復するために、色々本を読み、仏教の事も学び何とか生きられるようになったのかなと思います。

あなたは辛い中よく頑張って生きてきたと思う。それを褒めたいし、自分で褒めてあげて欲しい。お母さんと本当はゆっくり、お話したいです。だから、自分を責めたりダメだと思わないで。

今空っぽだと思っていても、コップに一滴ずつ水が入っていくように、これから満たしていけばいいです。ゆっくりゆっくり。心が強くないっていうけど、それだって敏感で繊細で優しいっていう事ですよ。長所にも本来なりうる。

何が正常かは分からないです。人と比べると辛くなるから、あまり比較しないでいいです。みんなどこかおかしい。カウンセラーや相談できる人いますか?ぜひ信頼できる誰かと一緒に考えていって。無ければ蓮の葉でもいいから。真剣に聞いてくれる人は必ずどこかにいます。一緒に悩んでいきましょう。簡単に解決する方法は分りません、でもその苦しみを共に考えたり、悩んだりはできます。

とりあえず蓮の葉に何かあったら聞いてみるとか、何かあったら書いてみることを目標にしてもいいと思う。蓮の葉は千字の文字制限があるのでこれ以上書けません。いつでもまた相談して下さい。

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おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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自由は不自由の中にある

ご質問有難ういただきます。
拝読させていただきました。

比較されて生きるのは、すごく息が詰まってしまいますね。
さぞお辛い気持ちでいっぱいなのだと、推察してしまいます。
今まで、お母さまをはじめ周りの期待に応えようとされたことが、ご質問された文章からヒシヒシと伝わってきます。

お母さまも、零々さんやお姉さんをよい学校に行かせ、よい職に就かせ、よい人生を生きてもらおうとお仕事も頑張ってこられたのでしょう。

お母さまは、自分の思った通りの娘に育たない、こういうつもりじゃなかった。
そう考えているのではないでしょうか?

しかし、一度冷静になって考えてください。
零々さんは、お母さんのためだけに生きているのではありません。
あなたが納得するように生きればよいのです。

・学校はこの学校に行かないといけない
・成績はどのくらいないといけない

それは、いつもお姉さんと比べられる。
お姉さんに比べてダメだからダメ。
ではなく、零々さんは零々さんのよいところがたくさんあると思います。

いま、息苦しいと思っている不自由がたくさんある生活だけれども、考え方を少しだけ変えてみるとその生活の中に、自由があるのです。

その自由とはどういうものかと申しますと、

自由とは、「こだわらない心」です。

・○○しないといけない。
・○○点以上の成績をとらないといけない。

この「~しないといけない」と、思うから辛くなり、息苦しくなるのです。

しかし、その「こだわらない心」は大きい交差点を走っている車の中を目隠しして横切るくらい難しいものがあります。

まずは深呼吸して、自分は一体何をしたいのかということを考え直してみてください。
それは、誰に言われたものでもなく、零々自身の内側からにじみ出てくるようなものだと思います。
少しずつで大丈夫です。
1日1日少しずつでも行動したり、自分の中で消化していってみてください。

今後、零々さんの人生が豊かなものになりますようお祈りしております。

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合掌 私は日蓮宗の坊さんです。 2人の男の子を持つ父親でもあります...
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