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怒りを向けるとすれば自分か他者か

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はじめまして、お坊さま。
私は夏頃に仕事を辞め、現在転職活動中です。
中々仕事が決まらない中、一年ほど前から始まった過食嘔吐という摂食障害を治療すべく12月ごろから毎週精神科に通っています。
診察を受けたところ、正確にはむちゃ食い障害という衝動を自分では抑えられない病気らしく、その衝動を抑えるための薬を処方されるようになりました。
それからは何種類か薬を試し、ようやく今処方されている薬が効きはじめ、過食嘔吐も治まりつつあると共に昔から苦しんでいた過去の失敗体験のフラッシュバックや、日に何度も起きていた頭の混乱なども治まり、今処方されている薬が合っているのだとすごく安心していました。
ですがこの薬を飲みはじめて自分の気持ちが落ち込むことが減り、過去や現在の自分を責めなくなったかわりに、過去の嫌だったことや不満に思っていたことについて母親に当たり散らすようになってしまいました。
事の責任の所在を他者に求め、自戒自罰するのではなく、他罰的になってしまったのです。
そして、私は母が怒り出すまで執拗に母を詰り、怒り出すとその場を逃げ出し、また顔を合わせるたびに嫌味を言うという行為を繰り返してしまいます。
母は現状について薬が合っていないため気分が高揚し、ハイになっている、量を調整するか、薬を変えた方がいいとしつこく言ってきます。
しかし私は10歳くらいから29歳の現在まで特別なことがなくとも常に希死念慮が付き纏う毎日で、今の薬を飲み始めるまで毎日がただ理由もなく辛くて生きていることがたまらなく嫌でした。
それが、この薬を処方されてからとても楽になり、頭の混乱がなくなり、過去を思い出しても苦しくなくなりました。
だから薬を飲み続けたいと思っています。
そこで質問なのですが、他者を理不尽に痛めつけても、自分の心の安寧を選ぶことは悪なのでしょうか?
それともまた以前のように単に薬で調整できる脳内物質による頭の混乱に振り回されながら、生きるか死ぬかと己自身で葛藤し手足を自傷し続ける方がまともなことなんでしょうか?
教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おはようございます。
はじめまして。

ご質問ありがとうございます。

他害も自傷もどっちも辛いですね。
ご質問の回答ですが、
他者を理不尽に痛めつけるのは悪ですね。
心の安寧を求めるのは悪じゃないです。

何で自傷・他害で痛めつけなきゃ、心身のバランスをとれないと脳が認識するのか、私はそこが気になります。

もしかして、母だから攻撃的になってしまうことはありませんか。
もし、10才くらいのときに戻れるなら
本当は、お母さんにどんな風に関わってもらいたいでしょうか。
当時の関わりかたで満足してるから、同じ関わりかたでいいか、あるいは、違う関わり方をしてほしかったとか、どんな風に感じてらっしゃるか、その辺りを聴かせていただけると、今後の道も変わりそうな気がします。

誰かを責めなくても落ち着ける世になることを願います。

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自傷でも 他害でもなく

こんにちは、初めまして。

お仕事のこと、またお体のこともご心配でしょう。
「頭の混乱なども治まり、今処方されている薬が合っている」とのことで、何よりです。

今は、自分を責めることが無い代わりに、母親を責めるようになったとのこと。とすると、「怒りを向けるとすれば自分か他者か」という質問は、文面と併せて考えると他者とは具体的に母親である、という趣旨だと思いました。「母が怒り出すまで執拗に母を詰り」、「また顔を合わせるたびに嫌味を言うという行為を繰り返しというところに、あなたの感情交流の選択肢、その少なさを感じます。

現在、お心の状態もあるし、コロナの状況で外出もままならないということはありましょう。しかし、現代では自分の趣味趣向を在宅にても出来る手段は様々にあると思います。また、求職中であるならばオンラインの資格取得や、学問をしてみるなども可能でしょう。

あなた自身を傷つけるか、お母さんを傷つけるかの二者択一は、より不健康な行く末しか想像できません。お母さんも、薬の「量を調整するか、薬を変えた方がいいとしつこく」言うということは、傷つけられることに辟易しているのだと思います。

あなたは、満たされない思いを抱えてこれまで苦悶してこられたのだと思います。「あの時こうすべきだった」「お母さんはこうすれば良かったのに」と。ただ、人間とは、あなたも、お母さんも、私も皆失敗をするのです。また、愛することの表現にも足りないことがあるものです。

時々、私はしくじり先生という番組を見ます。
出演者それぞれが、自分の失敗談、紆余曲折を面白おかしく紹介する番組です。その中では、結果として失敗だったけど、当時は気がつなかった、分からなかったということ点が挙げられています。

この番組の良いところは、これを教訓にしていこうという雰囲気で進められるのが良いです。また、自分もそんな事あるよね、という共感も良さの一つです。

これが、どうでしょう。
あなたはそんなことをすべきでなかった、反省しなさい、どう責任とるのと追及したとするなら。とてもいたたまれない状況になると思います。

あなたが為すべきは、自傷でも他害でもありません。

後悔、反省を教訓にしつつ、経済的にも自立しつつ、より豊かで楽しさが口からこぼれるような生き生きとした方向へと自分を向けていくことです。

ご参考になれば

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
お二方からそれぞれ違った視点からの回答をいただくことにより、自分の視野の狭さや至らなさに気がつく事が出来ました。
他者を、この場合は母を、害することは悪に違いないのですね。
そして自分を抑えられないならばやはり、自分の中で凝り固まった部分をほぐし、解決してゆかなければならないことなのでしょう。
過去は過去として、分析して身にすべきであると。
母との関係についても何を望んでいるのかをよく考え、知ってゆくべきであると。
けれど私は少し疲れてしまったみたいです。
努力して明るい方へ向かって行くようなことをする気力はもうないみたいです。
過去ばかりに固執し、何もない道でただた足踏みをしていた。
たぶん私の20年間はそうしたものだったのではかいかと思います。
私はなぜだか誰と口を利いていても、いつも苦しかった。
人と関わると疲れ切って、母に当たってきました。そうでなければ自分に。
長く引きこもりを続け、自分が辛いということを人に話すことすら恥じ、何も口にしないくせに、とにかく助かりたい一心でした。
しかし、助けとはなんでしょうか。
それは人によって違う形をしているのではないのでしょうか?
私は私のやり方で自分を救いたいと思っています。
本当にありがとうございました。

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