亡き父の亡くなった時期についてです。
一年半程前に大好きな父を癌で亡くしました。父にいろいろな思いはありますが、大好きでした。
もっと生きていてほしかったし、もっと同じ時間を過ごしたかったです。
でも、現在世界で起きていることを考えたら、一年半前に父が亡くなって良かったのかもと思ってしまい、父に対してそんな風に思う自分が嫌になります。
未知のウイルスを知らず、オリンピックが延期されたことも知らずに家族に囲まれて最期を迎えた父は幸せだったのだと。
父はコロナを知らずに亡くなったので、まだやりたいことがやれる世の中なのに…と思いながら逝ったかもしれないのに。
あと一年生きればオリンピック見れたのに…と思いながら逝ったかもしれないのに。
何よりも生きたかったのは父のはずなのに。
でも、もし終末期が今になってたら、お見舞いもままならなかったと思うんです。特に子供は面会禁止になってしまう病院が多いのでおじいちゃん子だった私の息子はおじいちゃんに最後、会えずになってしまったかもしれない。
父がまだ生きてくれてたらと思うのに、一年半前に亡くなったことを良かったと思いたいような、
自分勝手なこの気持ちをどのようにしたら良いのでしょうか。
厳しい言葉でも構いません。何か少しでもお示しいただけませんでしょうか。
親のマイナス面ばかり気にしてしまう
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どのタイミングでも後悔は必ず起こるもの
ささゆり様
優譽と申します。僭越ながら一言申させていただきます。
大好きな御父様を亡くされて本当に辛く悲しかったと思います。
本当は、今も病気ではなく元気な姿でいて下さる事が一番の理想だと思います。理想をあげたらキリがありません。しかし、この世は「生老病死」が常に付きまといます。御父様のご病気は誰かが選んだものでもなく、この世にいる限り誰もがどんな時でも起こりうる事です。
そんな悲しみの中で何とか自分を納得させようとして理想を求める心を、御父様はきっと責めません。ささゆり様の苦悩を向こうの世界から慰め案じて下さる事でしょう。
「悲しいけれど、お父さんの看病に行けて良かった。」
「悲しいけれど、最後に旅行が出来て良かった。」
「悲しいけれど、一緒に桜を見れて良かった。」
誰もが思う事です。
早い事が良いのではなく、大切な時間があってよかった。そう考え直せば普通の欲求です。何よりも、今苦悩している姿を御父様が悲しんでおられる事を忘れないでください。「ごめんなさい」よりも「ありがとう」を大切に。
取り留めのない言葉で大変失礼致しました。合掌
質問者からのお礼
優譽さま
ご丁寧にご回答頂き、ありがとうございます。
「悲しいけれど、お父さんの看病に行けて良かった。」
まさにこれでした。
「大切な時間をすごすことができた」
父がなくなったのは確かに悲しいです。でも大切な時間をすごすことができたという、こんなに素敵なことを今までの私は気付いていたつもりで、本気では分かっていなかったのだと思います。
改めて、亡き父に感謝したいと思います。
優譽さま、本当にありがとうございました。