hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

悪縁だけを消したいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

この状況下ですが、意を決して縁切り神社にお願いに行ってきました。

訳あって知り合った人物の言葉や態度、行為で深く傷ついたからです。
プライド、心、身体全てです。

具体的に言えませんが、女性専門クリニックに数ヶ月通いました。
通院中だということを伝えたあとも、人事のように扱われ、誠実な態度をとりませんでした。

何度相談しても、一時的に落ち着き、またそのことに苦しめられてうまくいきません。

優しい言葉をもらって、這い上がってはまた沈んでしまいます。

周りの人々は前に進んでいるのに、私の時間だけが止まっていて、その過去に逆回転しているみたいです。

制裁を受けさせたい、復讐したい感情は少しだけ鎮火しました。
それは、コロナ感染への恐怖や、職を失うかもといった、別の恐怖が生まれたからです。

今戦うべきはコロナウイルスなのに、そのコロナウイルスのせいで生活環境が悪化し、心の闇が広がってきてしまいます。

肉体的、精神的、金銭的にダメージを受けたのはわたしだけで、相手は何ひとつ欠くことなく伸び伸びと生きているのが許せません。

それなのに、その人物との楽しかった時間はどうしても残しておきたくて、それどころかまた同じ時間を過ごしたいと思ってしまいます。
きちんと謝罪もしてほしいです。

軽蔑や、苦しめばいいという感情はあるものの、好きでもないのに何か因縁あるのかと思ってしまいます。

当該者から、自分たちの間にはなんかあるんだよと言われたことが思い出されて、余計に苦しみます。

こんな自分に呆れて、勇気を出して縁切り神社に行ってきたのに、今のところ何も心境は変わりません。

同じ人物との悪い思い出だけ切って、よかったこと、メリットがあるなら縁を残したい、でも復讐はしたいなどと言う中途半端なお願いをしたからでしょうか⁇

正論を言うと話を逸らしたり、語気を強めて黙らせるような、気が小さい人物なので、
直接話す機会を作ろうとするも、何度も流されました。

切っても切れない縁なら、せめて私が満足するまでとことん利用したいです。

長くてすみません。
どうか、動かなくなったわたしの時計を動かしてほしいです。
正常な考えが持てるように、機能させてほしいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しみの縁は外に、因は内に

これまでのご相談を拝読させていただきました。

>切っても切れない縁なら、せめて私が満足するまでとことん利用したいです。

とのことですが、完全に利用されているのではないでしょうか?

私たち人間は縁にふり回される弱き存在です。でもそれは振り回してくる縁に根本的な原因があるということでなく、縁にふり回されるようなものが私たちの内にあるということです。

それは煩悩です。渇愛です。愛を渇望する。すなわち自分に都合の良いものを近づけ、反対に都合の悪いものは遠ざけたいという心です。

そういうものを内に抱えているから、次から次に降りかかってくる外からの縁に振り回されるのです。

だから愛憎は裏返しのものなのです。その相手に執着するからこそ愛したり憎んだりするのでしょう。でもそれでは渇きは潤わないのでしょう。

これはけしてあなただけが悪いという話ではないのです。苦しみの原因は内にあるとしても、外の縁と無関係に存在する私など存在しないからです。

そこまでこじれた縁。いったんまるごと離れることが区切りとなるのではないでしょうか。

よほどの勇気と覚悟と冷静な自己分析が無い限りは、今のままでは振り回され続けるのではないでしょうか。

何も難しいことを言っているのではないです。その相手が語ることは甘い嘘なのでしょう。でも嘘ということを見ないようにして甘さだけを求めてしまうあなたがいるのでしょう。

ならばまるごと捨て去ることしかないです。関係を断つか、環境ごと変えるか、自分が変わるか。あなたなりの方法で縁を断ちましょう。

どこかに縁を切ってくれるスーパーマンのような神仏がいるわけではありません。あなた自身の行動を促すのが仏の教えです。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

たくさんの質問でお忙しい中、わたしの質問にも回答してくださり、ありがとうございました。
半年以上かな、努力が実らず、
いろんなことが、悪い方にしか回らない気がします。

丸ごと包んで捨てるイメージで、強い自分に変われますように!!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ