何事にも一歩踏み込めない
初めて投稿させて頂きます。
一月に人間関係の問題で衝動的に離職してしまいました。それを機に自分を見つめ直したところ、空っぽの人間だと気付いて生きている意味が分からなくなってしまいました。
昔から自分の好きな物を周りに理解されにくく、そのせいか自分を押し込めたり周囲を突き放したり、興味を持っても一歩踏み込むことが出来ずに生きてきました。そのせいで小学一年生頃からずっと将来の夢が書けませんでした。
趣味にも踏み込めずに周りと比較してしまい、本当に好きなのか分からなくなり、SNSなどで同じ趣味の方と話してみたいと思っても手が出せません。
また私は恋愛感情が無いアセクシャルというマイノリティらしく、普通の人にとって当たり前である恋愛や結婚の話が苦手なことも人間関係に影響してしまいます。
大学も大卒の方が有利だという理由で惰性で通って卒業し、何をしに行ったのか今でも良くわかりません。
仕事も人間関係で短期離職を繰り返してしまい自分に自信もなく、何を支えに仕事をすればいいのか、何故生きているのかも分からなくなり、次を探すのが怖くなってしまいました。
ある方とお話しして、「やりたいことがないと生きていくのは辛くなるから、少しでも興味を持ったことから始めてみたら?」とのお言葉を貰いました。
その通りだとは思うのですが、両親や周囲は「このご時世だし無理するな」と言ってくれるのに、離職中の自分を勝手に自分で責めて塞ぎ込んでしまい、どうせ駄目だ無駄だと思ってしまうため何も踏み出せずにいます。
どうしたら素直に一歩踏み出せるでしょうか?またお勧めの本などありましたらご教授願います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分が何者かにならなくてはいけないという思いを手放す。
自分が空っぽの人間だと感じて生きる意味が分からなくなったと悩んでおられるんですね。
気持ちが少分る気がします。私も大学4年間無益に過ごし、後で後悔しました。自分には何もないと思ってやはりその時は消えたいと思っていました。離職中の自分を責める気持ちも分かります。私も自分が本当に好きな事が無いというコンプレックスを今も抱えています。私も含め人は、世間から求められる価値に縛られすぎているのかもしれません。
様々な人や本に出会って、生きていていいんだとは思える者にしてもらった気がします。なぜそう思えるようになったかと言うと、自分が立派な物に成る必要があると思っていたのですが、そうではなくて、自分は立派に成れなくてもいいんだ、だけど、自分が出遇うべき深い教えがあった、それを聞いていきたいし出会っていきたいなという事が一つやりたい事になったからです。僕の場合は仏教でした。深い教えだなと思いました。自分が何をできる・何が出来ないという事よりも、会うべき深い教えがある。自分以上に深い教えというか。親鸞がそういうことを言っています。自分は空っぽなんだ、だからこそ教えが必要なんだと。自分が何が出来るとか、何を頑張ったとかを誇るんではなくて、頑張れていることに感謝できる者に成る、そういう事を願われているんだと。
今ほど未来が見えない時はありません。だからこそ今までの常識が通じない世に益々なると思うので、焦らなくていいと思うんです。人と全然違う生き方をしてもいいし、ゆっくり焦らずにいてもいいと思うんですね。他の人と同じ進み方をしなくても良い。
一歩踏み出すのが不安なのは、何かそれにどっぷりはまらないととか、本格的にしないとと思っているところはありませんか?広く浅く手当たり次第にちょっとだけでも興味ある事をやって飽きたらやめてそんなことを繰り返して生きてもいいと思うんですね。(坂口恭平という躁鬱病の作家の生き方が参考になります『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』)
一人で悩まずに、またいつでも相談下さい。どんなあなたであろうと応援しています。
【おすすめの本】人間といういのちの相Ⅲ(田口弘・東本願寺)、生きづらいでしたか、それでいい。ー自分を認めてラクになる対人関係入門(細川 貂々)、さよなら私(みうらじゅん)、夜と霧(フランクル)、なぜこんなに生きにくいのか(南直哉)
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。
回答頂きありがとうございます。
何度も読み返して、ストンと腑に落ちるような感覚がありました。
こうあるべき、普通の人はこう、といった言葉で自分を無理やり型に嵌めようとして苦しんでいるように思えました。また「広く浅く」という言葉に抵抗感があり、始めたからには意味がある事でなければいけないとも思っていました。
焦らないようにと思っても常に罪悪感が片隅にあって苦しいですが、少しずつでも焦らないようになりたいと思います。
教えて頂いた本も何冊か購入しました。自分を責め立てないようにゆっくり読みたいと思います。