母を恨む時があります
二回目の相談です。
小学校の時担任の先生からわいせつ行為を受けていました。
それも絶対に許せないことですが、
心情的にその時に気がついてくれなかった、守ってくれなかった母を恨むことがあり、自分でコントロールできません。
母はもう80過ぎで、とても気丈ですが、私が教師からわいせつ行為を受けてたことは知りません。
普段は大丈夫ですが、喧嘩の時や感情が高ぶった時、言葉には出しませんが、ものすごい恨みの気持ちが出てきます。
どのようにコントロールしたらいいでしょうか?
今更、小学生の担任教師のわいせつ行為を母に話しても解決にはならないと思っています。
ちょうど私が悩んでいる頃、家庭内が大変でした。父が借金の保証人になり、大変な借金を抱え込んでしまい、母が働き始めた頃でもあります。
母が大変で忙しくて、まさか自分の子供がそんな被害に遭っていたとは思わないのでしょう。母が忙しくて大変だったのは子ども心に、また今でももちろん、頭では理解できています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
とんでもない目に遭われたのですね
教師にひどい目に遭わされたのですね。たいへん嫌なご記憶と共に生きてこられたのですね。私も五十代ですから性別は異なるとはいえ、嫌な記憶を持ち続けておられるお気持ちは分かるところもあります。
ところで、私はときとして女性に避けられることがあります。イヤらしい内面が表情にあらわれているからかもしれませんが、必ずしもそうでもないようです。それら女性が一様に男性を避けているように見えるからです。たぶん性的な嫌がらせ等を受け、非常に深いトラウマを背負っておられるからなのでしょう。こうした被害を受けた女性は実はかなり多くおられるようです。
さて、お尋ねについて私なりの考えを述べてみます。通常はそのバカ者教師個人か、男性一般に向かうはずの憤りが母上に向かってしまわれる理由がよく理解できません。ことに当時の家庭事情からして、母上に精神的、身体的なゆとりが少なく、あなたもそれをよく分かっておられるのに、何故、母上に憎しみが向かうのでしょう。あなたは教師の行為を母上におっしゃっていないのですね。だったら母上がそれを知らなくても当然と言えます。
教師の犯罪と母上への感情は別のものであるはずなのに、どうしてこの二つが結びついてしまうのでしょう。母上への悪い感情は別のところから起こっているように思えます。それが明らかになれば、解決の糸口が見えるように思います。いかがでしょう。
質問者からのお礼
ご返信をありがとうございます。
実は第1回目の質問の時、教師に対する怒りのことは書いたのです。
その時は怒りが出てきたら「南無阿弥陀仏」と言いなさい。とアドバイスをいただきました。
実際には難しいです。なぜかというと私はキリスト教の学校を卒業してて、もちろんそのばか者教師もクリスチャンで学校の先生でしたので、宗教というものが信じられないし、嫌いだからです。
でも、ただいたご返信に関しては感謝をしております。
私の怒りは、第一はその教師で、次は学校です。
そして母です。
幼少期というのは自分でまだ人生を決めることはできません。
小学生では、親の敷いたレール以外に選択肢はあまりない時代ではないでしょうか?
小学生で性犯罪に巻き込まれたら、何か変化があるはずだと私は思いました。
私の場合は目に見えてわかる変化として成績がドッと下がりました。生活態度も非常に悪くなりました。
それ以外にも絶対に何か変化があったはずです。
でも、母はそれを見落としてしまいました。
母の責任として、子供変化に気がつくべきだったと思います。絶対に子供をしっかり見ていたら気がつくところ、気がつかなかった。
そこに怒りを感じます。
私の悩みの投稿とは関係のないことですが、川崎の中学生が殺されてしまった事件も同じだと思いました。
お母さんが忙しくて気がつかなかった、そこに犯罪は忍び寄るんだと思います。
私は殺されることはなかったけど、一生の傷を負いました。とても深い傷です。
そこに関して、「なんで気が付いてくれなかったの」という思いが、何年か経ったときに怒りへと変わりました。