長文失礼します。最近、コロナの影響で学校が休校となり、家にいる時間が長くなるにつれて、昔あった嫌なことを思い出すようになってきました。
コロナ前から嫌なことを思い出す癖はあったのですが、ほんの数秒頭に浮かぶだけで、気にするほどでもありませんでした。が、コロナの影響でずっと家にいるせいか、今ではほとんど思い出すことのなかった小学校時代のことまで思い出してしまいます。お前嫌いと真正面から言われたこと、机を離されたこと、気持ち悪いと言われたこと。その上、それら全てにおいて自分が被害者というわけでもなく、確かに自分も相手に対して酷いことをしてしまったということも先日思い出してしまいました。例)意味もなく冷たい態度を取ったり、やめろと言われたことを何回もしたり。それから、小学校時代嫌われたのは自分のせいで、中学校時代嫌がらせされたのは因果応報で、当然の報いだったのでは、と思うようになり、毎日自己嫌悪で気が沈んでいます。
私は転校して小中学校の人たちとはもう決して会うことはないのですが、胸の内は不安と後悔でいっぱいです。何かアドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝見いたしました。
お若いのに冷静で感服します。
突然ですが、朝の占いは見たことあるでしょうか。
”最下位は悪いことが起きる、でもラッキーアイテムがあれば回避できるよ”
というお決まりのパターンのやつです。
あなたが占いを信じるとして、ある日、最下位だと放送されたとしましょう。
その日に悪いことが起きたら「占い通りだ…」となります。
一方、何も起きなかったり、いいことが起きたら「ラッキーアイテムのおかげだ」と感謝します。
お分かりでしょうか。
何が起きても、占いは必ず当たります。
伝えたいことは「占いはずるい」ということではありません。
『人間は過去と現実を、正しいかどうか関係なく結びつけてしまう』
ということです。
現実に起きた現象の理由を私たちは知りたい欲求があります。
そこで原因を過去に求め、手に取りやすく納得しやすい見せかけの原因を結びつけてしまいます。
そして本当の原因を見つけることができず、結局解決できなくなります。
あなたに関しても、この現象と同じだと思います。
中学時代に受けた嫌がらせは、小学校の因果応報ではありません。
あなたが勝手に結びつけてしまっているだけです。
だって原因は他にも考えられますよね。
嫌がらせをする相手を探しているときに、たまたまあなたが目に入った。
嫌がらせで鬱憤を晴らしていた人たちに、鬱憤を溜めさせた人がいた。
関わっている理由は数え切れないほどあり、複雑に絡まっています。
これを仏教では『縁起』というのですが、説明は省きます。
それでも、すべての現状は過去から成り立っている、と考えてしまいたくなるのが人間の性です。
そこでこの性質を利用しましょう。
過去を悪いイメージからいいイメージに変えるんです。
あなたは、過去に過酷な経験をしてきた。
そして『いま』はその過去を背負い、悩みを抱えている自分がいますね。
ですが、未来に力強く生きている自分がいたら、過去となった『いま』は自分を成長させた糧になります。
自分が作り出したい未来と過去を結びつけるんです。
そうすると、ポジティブな意味が見いだせてきます。
あなたが何をしたいのか、将来何になりたいかはわかりません。
ですが叩かれた刀だけが強くなるように、悩んできたあなたは心が強くなるはずです。
過去は過去として。
不用意に結びつけずに、『いま』を生きてみてください。
ありがとうございました!
読んでるうちに過去の自分を否定することは今の私を否定することだと気づかされました。結局私は現状を誰か、何かのせいにしたかったのですね。
これからは過去を過去としてきちんと受け止め、今を精一杯生きようと思います。本当にありがとうございました!