性犯罪の懺悔とこれからを教えてください。
現在23歳男性フリーターです。半年前くらいに職場での性犯罪がバレて示談になり自主退職。実家で暮らしています。
私は専門学校に通い始めた18歳頃から性犯罪に手を出すようになりました。ネットに書いてある通りスリルを求めるようになってしまい、犯罪だという意識も薄れ毎日のように繰り返していました。
犯行から3年目(専門学校だったので最終学年)の卒業間近の12月に犯行がバレました。相手は同じ学年で仲の良かった女性。速攻で学校に電話がいき停学処分になりました。この時は「やばいことしたな、犯罪だよな、仲の良い友達を失ってしまった。」と思うくらいで、病気であることはわかりませんでした。
どうしても就職がしたかった私は図々しいながらも就職先を見つけ学校を卒業しました。
就職先では成績も良かったのですが、やはり性犯罪をやめることができず2年ほど続けてしまいます。
そして今年の2月に「また」バレました。
そこでその場から逃げる際に後ろ姿を見られある程度誰か予測はついていたようで。自分は「突発的にやってしまった。」と嘘をついてしまいました。被害女性からは「慢性的なら病気だよ!」ときつく言われました。ここで初めて自分は病気なんだと認識しました。
後日示談の手続きと自主退職の手続きをしました。
その女性は私の彼女と仲の良い女性で職場で一番綺麗な方でした。そんなこともあり彼女からも「病院に行くべきだね」と言われ、地元の精神科の予約を取りました。
彼女とも別れ仕事も失い貯金も失いました。もう人生のどん底です。
この事件から約3ヶ月経ちます。この間自分はなぜ性犯罪してしまうのか血眼になって調べ治療法や実際に逮捕された方の話を聞きました。
今では自分は死ぬべき人間だけど、もう2度としないと決意して病院にも通って罪を償うために誰かの役に立つべきだと考えています。
たくさん本を読んで情熱を注ぎ没頭できる自分のやりたいことを見つければ性犯罪を抑えることができるのかなと考えています。
そこで質問ですが、僕は死ぬべきですか?やりたいことをやるべきですか?
もう誰も傷つけたくないし誰かの役に立ちたいです。
ご回答お待ちしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死んじゃダメです!
『僕は死ぬべきですか。やりたいことをやるべきですか』…どっちでもありません!
死ぬことはとにかく許されないし、やりたいことってなんなのかが分からないので肯定も出来ません。
あなたの犯した性犯罪は立派な罪ですが、ある意味「性癖」とも言えるものでしょう。
そしてあなたは、その報い・罰は御自身でもう(「充分」の言葉はここでは控えますが、私は本当はこの言葉を用いたいのです)受けたと思います。
性犯罪の一番厄介な点はその根本に「本能」が横たわっていることです。だから、どれだけ反省しても、どれだけ裕福になっても再犯の可能性は残ります。
もっと言えば、人間誰だって性犯罪を犯す可能性はあるということです。あなたがそうであるように、僧侶の私だってどうなるかわかりません。認知症などが進めば理性で抑えることも出来なくなるでしょう。私にとっても他人事ではありません。
そして性犯罪の根底には、女性を蔑視する、自分より劣った存在だと思う気持ちが隠れている可能性が高いのです。だいたい尊敬する相手であれば罪を仕掛けないでしょう。
あなたには女性に限らず、人間として相手の人格を尊重する気持ちを育むことが大切かも知れません。
「なぜ性犯罪してしまうのか血眼になって調べ治療法や実際に逮捕された方の話を聞き」「もう2度としないと決意して病院にも通って罪を償うために誰かの役に立つべき」覚悟をお持ちのあなたです。
今回のことはきっと乗り越えられますよ。
どうか、性犯罪加害者のサポートをしていらっしゃる団体を探し、そこと繋がりを持って下さい。さらに、ずっとその絆を保ち続けて下さい。
そして、いつかはあなたが愛する方と幸せな夫婦生活を営む日が訪れますことを念じ上げております。
仏様もあなたを見守り続けて下さいますよ。大丈夫です…
質問者からのお礼
ご拝読ありがとうございます。
病院で治療しつつ自分の考え方を少しづつ変えていきます。
「あなたには女性に限らず、人間として相手の人格を尊重する気持ちを育むことが大切かも知れません。」
この言葉がすごく心に刺さります。
幼少期には親からの暴力もあり今まで友達に暴力をふるってしまったことも数回ありました。
全ては繋がっているのですね。
相手の人格を尊重できるように優しさを持って接して生きていきます。
本当にありがとうございました。