hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死に関する夢について

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

死に関する夢についてです。

 先日、母親が亡くなった夢を見ました。直接母親が死ぬところや遺骸を見たわけではなく、どこかの建物(病院?)の廊下で、ふと「あ、死んだんだ」と夢の中の私が悟る、という夢でした。また、夢の中で「これからどうしよう」と考えたり、母親に代わり姉が家事をする光景や、父親が悲しそうな顔をしている場面が印象に残っています。(場面は飛び飛びです)

 夢占いによれば、死は吉夢であり、特に親の死は自立に関係するようで、確かに私は就職したばかりです。また、死の予知夢である場合は稀らしく、仮にその場合は、橋や川、白い花や蝶が出てくるそうですが、そういった類のものはなかったように思います。

 しかし、私は、10年ほど前にも似たような夢を見たことがありました。その時は、祖母宅の庭を眺めながら、ふと「ああ、祖母は死んだんだ」と夢の中の私が悟る、という内容で、先日見た夢と似ていました。
 そしてこの夢を見た数年後に祖母は亡くなったのですが、祖母宅から霊柩車を見送るために庭に出た際の光景が、その時の夢とよく似ていました。(天気など)

 その夢を見た時点ですでに祖母は高齢であり、また亡くなる半年ほど前から体調を崩していたことから、言い方は悪いですが自然と言えば自然です。逆に現在、母親はとても健康です。

 ただ、私は所謂「正夢」というものを度々見ることがあります。ハッキリこれは正夢だ、と認識しているものが3つ、またそれ以外にも、おや?と思ったものが無数にあります。そのため、先日見た母親の死を悟る夢が、数日後か数年後かに本当になるのではないか、と不安になっています。

 人はいずれ死ぬ、という事は理解しており、いずれ両親が亡くなることもまた確実です。ですが、祖母の死が個人的にトラウマになっており、あんな思いをするのは向こう30年はごめん被りたいというのが本音です。

 また、つい最近、近所でコロナウイルスに感染した方が出た、というニュースを聞いたこともあり、より不安な気持ちになっています。
バカみたいな話だ、と言えばそうなのかもしれませんが、、、

 実際、私が見た夢は将来起こりうるものなのでしょうか。また、私はどうすれば良いでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目の前の「なすべきこと」に意識のフォーカスを

ご近所で新型コロナウイルスに感染した方が出たとのこと。
ただでさえ先の見えない社会状況ですからさぞかしご不安なことでしょう。
私自身、このコロナ禍のさ中において、「朝目が覚めたら、コロナウイルスの不安のない元の世界に戻っていたらどんなに良いだろう」と何度も思い、また、悪夢を見ることも度々です。
きっと琴剣さんも、社会全体に強いストレスがかかり、不安が増幅している中で、ご自身が以前から抱えておられた悩みがより強まったのではないでしょうか。

私自身、「予知夢」や「正夢」の経験はありませんが、妙な胸騒ぎに襲われた経験が何度かあります。お檀家さんのご逝去が相次いでいる時期、「まだまだご葬儀が続きそうだな」という胸騒ぎに襲われました。そしてその胸騒ぎが現実のものとなり、それ以降もご逝去が続いた時には、罪悪感を感じたものです。

ご質問の中にある「正夢」についての知見を私は持っておりませんが、心理学において、「夢」は「深層心理」のあらわれであるとも言われているようです。仏教でも「阿頼耶識」といわれる心の階層があり、そこに過去の記憶や刺激が「種子」として蓄積され、それが自身を含む存在を作り出しているという考え方があります。

その考え方に則って考えると、あなたが見た「夢」もあなた自身の心に蓄積された記憶が作り出した一つの現象と言えるのかもしれません。

あなたが見た夢が「将来起こりえない」とは私は断言できません。大変残念ですが、ご自身もおわかりの通り「人は誰しも、いずれ死ぬ存在である」からです。

私がお答えできるとすれば、

あなたがお持ちの不安を消し去ることへの近道は、あなた自身のご家族と良好な関係を保ち、なるべく悔いのないよう、できることをしてさしあげ、伝えるべきことを伝えること。

でしょうか?

就職したばかりで不安が多いことと思いますが、目の前にある「なすべき」ことに意識をフォーカスし、一生懸命に最善を尽くしていくこと。そして、そのことで得られた成果を味わって自己肯定し、そのことで得られた力を身の回りのご家族に振り向けることおすすめします。何より、規則正しい生活と適度な運動を心がけ、ご自分にあった入眠儀式を習得し、より質の高い睡眠を確保することが大切であると思います。

あなたの不安が少しでも薄らいでいくことを願っております。

{{count}}
有り難し
おきもち

東京都内広告制作会社にてプランナー職を経験後、大本山永平寺にて安居修行。曹...
このお坊さんを応援する

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ