自分が嫌いです
前回と同じような質問で申し訳ありません。
自分が嫌いです。どうにかして前向きに生きる術を知りたいです。
生い立ちの話をさせていただきます。
小さい頃は覚えている限り、
曲がったことが嫌い、自分が正しいと思ったことをする、そんな子だったと思います。
ただ、母の過保護且つ厳しい教育、小学校〜中学校のいじめにより、
段々と人間不信、完璧主義、マイナス思考、不利益になることをとことん避ける、周りに嫌われないように振る舞う、自分を無価値と感じるようになりました。
母の「わたしの子だからできて当たり前」、
クラスメートに言われた(どうしてきついことを言うのという問いに対し)「〇〇だから悪い!」という言葉がこびりついて離れません。
それでも本来の性質は変えられないのでしょう、小さい頃の自分と真逆の今の自分が二人存在しているかのようになります。
時折りバランスが崩れると、ヒステリーを起こすこともあり、自己嫌悪の日々です。
今、こんな私でも良いと言ってくれる人に出会え、結婚とそれに伴う転職を控えています。
ただ転職のことを考えるたびに、
わたしには何もできない、誰も雇ってくれないという気持ちになり、ヒステリーを起こしてしまって婚約者にも迷惑をかけてしまっています。
今後のことも考え、なんとかしなければと自分に言い聞かせていますが、、、日々鬱々とし、消えてしまいたい気持ちです。
こんなわたしでも前向きに生きる術はあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ありがとう、を言える人ですか?
おはようございます。前回の問いも読ませていただきました。
「こんな私でも良いといってくれる人に出会え」、というのは本当に良かったですね。
でも他人事ながら将来は心配です。あなたが「ありがとう、をあまり言えない人かもしれないな」と感じるからです。
あなたは幼少期、お母さんから「私の期待に答えてくれてありがとう」と言われてきましたか?そういったメッセージを受け取ってきましたか?
もしもそれが少ないならば、「小さな事にありがとうと感謝する」が、お求めの「前向きに行きていく」ヒントだと思います。
「ありがとう」と「ごめんなさい」は、人と人が繋がる言葉です。人と機械の間では成立しません。これは、相手を感情や思いのある人間と認める言葉なのです。
お相手に、そのように接してあげられないならば、いずれそれを理由に離れていくかもしれません。「ヒステリーをやめなさい」ではありません。「それがやんだ時に、どう振る舞うか」が大切なのです。