運転の不安がまた出てきました。
いつもありがとうございます。
また身に覚えがない不安で何も手が付きません。悪いことはばかり考えてしまいます。
覚えがない。と言っていいのか分かりませんが、運転しているときにいくつも注意しなければならない場面に出くわすと、慎重には慎重を重ねても、あとから不安がついてきます。
それでも飽き足らず、ドライブレコーダーも何度も音や衝撃がないか、車に傷や汚れに不自然なところはないかを何度も確認してしまいますし、近所だったら子供に「散歩へ行こうか」と誘い出して2、3時間後でも見に行ってしまうこともあります。
最近のことで言えば、通信工事をしているトラックの横を通ったのですが、警備員さんがトラックを避けるのには少し避けにくい位置に立って、「行って」と言う合図をしていましてた。
道も広い道路ではなかったので、警備員さんを気を付け、トラックの周りのコーンに気を付けながら通り、通ったあとはミラーを見て、警備員さんも普通に立っていたのに 、帰宅後に「もしかしすると、立っていても平気な位、軽く接触してたら?」と思ってしまうのです。
何度確認したって、何も変わらないし、自分自身も音や衝撃は感じていません。
何より通りすぎたあとはミラーで何度も確認しているのに、何をそんなに心配なことがあるのか……
そんなことが、ごくたまにあります。
主人にも「は?音もしてないんだろ?大丈夫だ!考えすぎ!」といつも面倒そうに返事をされます。
面倒なことをいっている自覚もあるし、事故を起こせば気がつかないなんてことはないと分かっています。
田舎で車が必須である以上、これからこのくらいの事はいくらでも出てくるのに…。
自分自身の不安は自分のせいなのに、「どうしてこんなところで誘導するの?あなたが邪魔なんですけど…」等、人のせいにしてしまうこともあって、とても情けないです……日頃の感謝もかけているのだろうな…と思うと、それもまた情けなく思います。
こんな風に思ってしまうことも、不安要素の一因なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「心がここにある」運転を心がけて
私が住む青森県むつ市も車必須の地域であり、みんみんさんのようなお気持ちや不安を抱えることが頻繁であり、私自身思い当たる部分があるので回答させていただきました。
私自身、約10年前から頻繁に車を運転するようになったのですが、特に運転しはじめてすぐの頃、そのようなことが多かったように思います。今思えば、東日本大震災直後でもあり、何かと不安の多い時期でしたので、常に運転時は不安を抱え、集中力に欠けていたように思います。また、寺のカギをかけたかどうか気になり、不安のあまり外出先から約20分かけて戻り、結果ちゃんとカギがかかっていたということもありました。
「不安神経症」とまではいかなかったのですが、その一歩手前まで進んでいたように思います。みんみんさんのご質問を読み、私自身「自分だけじゃなかったんだ…」と正直なところ安心いたしました。
少し気になったのですが、みんみんさん自身、何か不安やストレスを抱えていませんか?日常において、それを解消する手段をうまくご自身で見つけ(深呼吸、ママ友との雑談、運動など)することが、結果として運転時の集中力を高め、安全運転につながるのではと思います。
「心ここにあらず」という言葉がありますが、考え事をして思考が過去や未来をさまよっていると、その時になすべき事、考えるべきことをおそろかにしがちです。
車の運転は、いのちを預かる尊いものであり、いのちを害する危険性を有するものであることを共にしっかり心に刻み、安全運転に心がけていきましょうね。
自分自身、そのことの大切さに気づかせてくださり有難うございました。
質問者からのお礼
お礼を返していたつもりが、2年以上もたっていたこと、お許しください…
返信をいただけたこと、本当に励みになりました。ありがとうございます。
あの時よりは、運転に対しての不安はありませんが、時々不安になってしまうことはあります。
長い時間をかけて、ここまでこれたのだから…と言い聞かせストレスをためないよう、感謝の気持ちを忘れないよう、過ごして行こうと思います。