自殺願望、なるようになって良いのでは!
以前もお聞きしましたが、再度おききします
死を望み選ぶ事はいけない事ですか?
私は、障害の為にヘルパーに助けてもらいながらの生活。私がコロナ感染して死ぬのは、私にとっては喜ばしいと願っています。ただ同居の母が高齢なので気をつけて(というところには達してませんが)いました。しかし、もうヘルパーとも母とも接点を持ちたくない。それにより必然的に外出など出来ません。通院もできません。ひとりで、見えない聞こえない話せない状態になりたいのです。死にたいのです。コロナ疲れなんてものではありません。大きな大きな希死念慮がやってきました。
自殺がいけないと言うのなら、コロナ感染でいいです。とても苦しいコロナ感染肺炎。でも死はどんな形でも、苦しく辛いものです。簡単には死ねません…死ねませんでした。
死を自ら選ぶ、そんな人生の終わり方も望んだ者には良いと思いませんか。
自殺願望に襲われるお坊さんは、いらっしゃいませんか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「みんなのみな実だからぁ」田中みな実
"死を望み選ぶ事はいけない事ですか?"
危篤状態での延命治療か尊厳死かの判断なら、どうぞ、ご自由に。
しかし、絶望に取り憑かれた末の自殺となると、それはいかがなものか。
”あなた”という存在(いのち)は、あなたが思うほど矮小で無価値なものでもないですよ。あなたの存在(いのち)は、あなたの思いひとつで生殺与奪を下せるような、あなたの所有物ではない。
みんなで支えてきた大切ないのち、自分勝手に棄てさせはしないよ。
<追記>
『仏本行集経』の中に、一羽の雁を巡って取り合う話が出てきます。内容の紹介は省略します。結論からいえば、ここには「すべてのいのちは愛そう守ろうとする者のものであって、害してやろう殺してやろうとする者のものではない」との旨、記述があります。仏教の立場から言えば、あなたのいのちは、すでにあなたのものですらない。
<追記2>
"なるほど「仏教の立場から言えば」ですよね"
はいそうです。ここは仏教の僧侶が回答するサイトです。
質問者からのお礼
お忙しいところありがとうございます
そうでしょうか?確かに皆さんに支えてもらったいのちですが…母の所有物でもヘルパーの所有物でもなく、やはり私のいのちです。どんなに良くしていただいても本人にしか分からない苦はあるもので、私のものだと思います
考え、おかしいですか?
なるほど「仏教の立場から言えば」ですよね。