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同級生が亡くなりました回答受付中

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有り難し有り難し 15

同級生が亡くなりました。
自死でした。
それほど親しい間柄ではありませんでしたが、すれ違ったときには元気に挨拶をしてくれる明るい方でした。

なぜ自死してしまったんだろう?

そう思えるくらい明るい人でした。

相談内容ですが、同級生の自死に驚いたことを某SNSで発信しましたら
『自〇したひとは成仏できずにこの世をさ迷うんだよ。一生死んだ場所に鎖でつながれて地縛霊になる』
というようなオカルトめいた返信を付けられました。
私は幽霊やオカルトの類は信じていませんが、なんて無礼なやつだと思いました。

仏教では自死してしまった人も救われるのでしょうか?
仏さまは救ってくださるのでしょうか?

自死を肯定したり推奨するわけではありませんが、私は自死を選んだ知人の選択、生き方を尊重したいです。
きっと誰にも言えない心の闇があったのだと思います。
きっとたくさん苦しんだのだと思います。
考えて考え抜いて、彼は一つの選択肢を選んだのだと思います。
そんな彼の生き方、最期にに取った選択を尊重してあげたいです。
どうか死後は安らかにいてほしいです。

2025年7月9日 13:08

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談くださり、ありがとうございます。そして、大切な同級生の訃報に接した深い悲しみと戸惑いの中で、こうして「その人の生き方を尊重したい」と願っておられるあなたの優しさに、心を打たれました。

まず、SNSで寄せられた不躾な言葉に、深く傷つかれたことと思います。他人の痛みに土足で踏み込むような無神経な言葉は、誰の心も救いません。

あなたの問いに、仏教の立場から正面からお答えします。「自死した人も、必ず救われるのか?」というあなたの問ですが、浄土真宗をはじめとする仏教の多くの教えでは、どのような最期であっても、阿弥陀仏の救いは一切の命に等しく注がれていると説かれます。

「こんな死に方をしたら救われない」、「この生き方は仏の慈悲に値しない」そうした“条件付きの救い”は、仏さまの本願にはありません。なぜなら、仏さまは「苦悩のどん底にあるものをこそ、見捨てずに抱きとる」存在だからです。

人間が「こうあるべきだ」と決めた生死のかたちではなく、その人がどれほど悩み、苦しみ、孤独の中で懸命に生きてきたか、仏さまは、その命の歩み全体を、静かに、そして深く見つめておられるのです。

あなたが書かれたこの言葉、「考えて考え抜いて、彼は一つの選択肢を選んだのだと思います」、「そんな彼の生き方、最期に取った選択を尊重してあげたいです」、この想いの中に、“命に対する深いまなざし”が宿っていると私は感じました。

苦しみの中で何かを選ばざるを得なかった人の尊厳を、どうにか守りたいという祈り。その願いが、言葉の一つひとつから伝わってきます。

彼が最期まで抱えていたであろう“語られなかった痛み”に、私たちは手を伸ばすことはできません。でも、「そんなに苦しかったんだね」「ここまで生きてくれて、ありがとう」とそっと心の中で語りかけることはできます。

そして、その人が生きていた事実を、忘れずにいること。それが、私たちにできる供養の一つです。

仏様は決して、「こう生きなければ救わない」などとは言いません。むしろ、「苦しみの中にあるあなたをこそ、見捨てない」と言い続けてくださっています。

ですから、どうか信じてください。あなたの同級生も、いま、仏さまの光の中で
その痛みを手放し、少しずつ癒されているはずです。

あなたの「どうか安らかにいてほしい」という祈りは、きっとその人に、届いています。

2025年7月9日 13:25
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

ご友人の人生を肯定してあげてください。

私は仏教徒なので自死を肯定したくはありません。
なぜなら宗教で自死を肯定してしまうと、宗教ではなくなってしまうからです。
ですがロナさんがご友人の「自死という選択を尊重したい」という気持ちは、

そのご友人の 人生を、生涯を、肯定してあげたい。

という気持ちと同じだと思います。
死に方も含めてです。そういうことだと感じます。
私は、そのロナさんのご友人に対する思いやりが素晴らしいと思います。
ロナさんはそのご友人と良い友情を育んでいたんだなあと、
私なんかは羨ましくも思いますよ。

赤の他人からの意見ほどいい加減なものはありません。
もしも、もしも、ご友人が地縛霊になったら、そうなったで地縛霊のご友人と生前のように楽しくおしゃべりしたらいいじゃないですか。
「この線香好きじゃないから、今度違うの買ってきて」
「安いのしか買えないから我慢して」
ってなもんですよ。また楽しい会話ができるかもしれない。 

自死されたご友人の生前を知っているロナさんご自身が、
その短い“人生の全て”を肯定してあげることで、そのご友人は成仏する。
と私は信じています。
まずはロナさんご自身の気持ちが大事です。
まずはじっくりと悲しんであげてください。それが友情です。
きっとその気持ちはご友人に届くことでしょう。そしてその気持ちが神仏への供養となり、それが通じたときご友人は成仏するのではないでしょうか。  合掌

2025年7月9日 18:44
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

釋兼高 さま
ご回答ありがとうございます。
そして、優しいお言葉とお心遣いをありがとうございます。

仏さまはどのような最期であっても手を差し伸べ救ってくださるのですね。
安心しました。
釋さまのご回答を拝読させていただいている時に自然と涙が一粒、こぼれ落ちました。
仏様の下で苦しみから解放されていく知人に安心したのか、それとも私自身の気持ちを穏やかにしてくださる教えを頂いたからなのか。
きっと両方だと思います。

亡くなった知人の辛さや苦しみは私の想像の至るところではありませんが、その気持ちに寄り添っていくことが供養となるのですね。
改めて仏さまの慈悲深さに私も救われました。
これからも知人のことを忘れず、知人の分まで私がしっかりと生きようと思います。
ご回答誠にありがとうございました。

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