私の「怖いもの」
先日「怖いものを克服したいです」という内容で投稿させていただいた者です。
優しいご回答ありがとうございました。
私の「怖いもの」とは地震です。
皆怖いのは同じ、というのはわかっております。
考えると余計起きてしまうようでそれも怖いのですがなかなか頭から離れません。
例えば日本列島の地図が出ると、震源をあらわす画面を思い出してしまい怖くなってしまいます。
犬やカラスが鳴いていると「動物の方が強く反応する」という噂を思い出し不安になります。
大好きなコンサートも「もし観ている途中で地震が来たらどうしよう」と思ってしまい、行けなくなってしまいました。
好きな芸能人がいるのでその方が出演されるテレビ番組も見たいのですが、速報テロップが流れるのが怖くて見れません。
非常用の持ち出し袋を用意したり、万が一の場合のシミュレーションなどもしている一方で、まるで来るのを待っているようでそれも辛いです。
おそらく2011年の震災の時に、友人との旅行先で被災し避難所で一晩過ごした経験がトラウマになっているのだと思います。
しかしもう9年も経ちますし、東北にお住まいの方はもっと辛い経験をされたのに私なんかがトラウマになっているなんて申し訳ないと思います。
自分では、地震が少ない県や他国に移住しようかなどとあまり現実的でない克服方法しか思い浮かびません。
もう20代後半ですのに、こんな自分のことを幼稚で情けなく思います。
友人に相談したのですが「そんな暗い話聞きたくない」と言われてしまいそれ以降相談できていません。
家族やカウンセリングの先生は「もっと年を取れば気にしなくなる、時が経てばそれよりも大事なものが増える」と励ましてくれるのですが、それがいつになるのかわからないですしそこまで生きていられる確証もないだろうと考えてしまいます。
何とかこの辛い毎日を乗り越えられないものでしょうか。
前回のアドバイス通りお守りは買いました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「怖い」というのは大事な感覚
ご相談拝読しました。
あなたが自分を責める必要など全くありません。話すのに勇気がいる内容であったとお察ししますが、話してはダメな内容などということもありません。むしろお話しくださりありがとうございます。
あなたの感覚は幼稚でもありませんし、より甚大な被災をされた方に申し訳なく感じるべきものでもありません。
あなたにとっては今あなたが不安や恐怖を感じているということがあなたにとって何よりの問題なのですから。
さて、
>何とかこの辛い毎日を乗り越えられないものでしょうか。
とのことですが、お話をお聞かせくださった内容から察するに、自分の力だけで何とかできる症状の範囲は超えているようにお見受けします。
カウンセリングは受けているとのことですが
>「もっと年を取れば気にしなくなる」云々…
というのがカウンセリング内容だとしたら、個人的にはちょっとどうなのかな?と感じます。恐怖症・不安症・トラウマの専門医をもう少し探して受診して見ることをオススメします。
身体をケガしたら病院にいくように、心に傷を負ったらやはり病院に行くものです。
しかしながら、お感じの不安や恐怖は生きている限りなくならないものでもあります。それは生きていくのに必要な感覚であり、生きている証でもあるのです。
なのでそれらをなくすというのでなく、問題は「過度に感じている」、あるいは「感じたものに過度に反応している」というところにあるのかもしれません。
もちろんそれはご経験されたことからくるものなのであなたが悪いわけではありません。
そしてそれじは逆にこれからの経験によって感じ方が変わり得るという事の証左でもあるのです。
人は自分がいつか死ぬことは知識で知っていますが、本当に自分の問題としては捉えられてはいません。もし捉えられたら居ても立っても居られないはずです。自分の死はその時まで経験できませんからその問題をごまかすことも可能なのでしょう。
しかしあなたが今お抱えの地震については実際に経験されたわけですから、それは単なる知識ではなく紛れもないあなたの課題となったのでしょう。いつどこで誰が地震に遭うかわからないという事実を課題としていただいたのです。
では課題は無い方がいいものでしょうか?私は課題の多い人生は豊かなものだと感じます。
ご自身の感覚を信じてもいいのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
不安な気持ちになる度に自分のことを責めていたので、そのように言っていただけて嬉しいです。
病院も探してみたいと思います。