感情の温度差
お忙しい中、いつも素晴らしいお言葉を頂き、ありがとうございます。
何度も申し訳ありませんが、再び質問をさせてください。
今から約3ヶ月前に母を亡くしました。
まさか亡くなるとは思っておらず、急なことで今も心の整理がついていないのが正直な感情です。
自分には父の他に兄が二人おります。
当初は兄たちも悲しみに暮れて落ち込んだり、涙を流したりもしていましたが、
その後、1ヶ月以上が経過し始めた辺りから兄たちは気持ちを切り替えたのか、普段通りの生活に戻りました。
ですが、自分は気持ちの切り替えが難しく、正直まだ立ち直れていません。
それどころか、母の面影を追いすぎた余り、心の病を患って入院もしました。
周りからは『自分と兄たちとでは母と過ごした時間や思い入れがそれぞれ違うから感情に違いがあっても仕方がない』とも言われました。
確かに自分は母と同居していたので世話はもちろん、最期まで看取りました。
それでも、同じ兄弟でもこんなに温度差があるのか…と戸惑いが生じていることも事実です。
一人の兄からは『気持ちを切り替えれたからもう涙は出ない』とあっさりした感じで言われました。
年月が経過しているならまだしも短期間であっさりと気持ちを切り替えられるものなのでしょうか?
そんなつもりはないと思いますが、母が忘れられたような気がしてとても寂しく感じてしまいました。
メンタルが弱いと言ってしまえばそれまでですし、単に自分が引きずり過ぎているだけかもしれませんが…
もしよろしければご意見を頂きたいと思い、投稿させて頂きました。
お忙しい中、申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教的には、気持ちを切り替えて欲しい
お兄さん達のように気持ちを切り替えた方が、あなた自身の健康や快適な毎日のためになります。
仏教的には、諸行無常。
生まれた者は必ず死ぬので、本来は悲しむ必要がないのです。
誕生、入学、卒業、成人、就職、退職、還暦など、人生の節目節目は必ず「おめでとう」と言います。
なぜ死ぬときだけ悲しまねばならないのでしょう。
人生の最後だからこそ、ハッピーエンドの卒業だと思いたいです。
お釈迦様は、ご自身の死が近づいたとき「我が齢(よわい)は熟した」と言われ、弟子に対しては、悲しむ必要はないと諭されました。
お母さんもいずれ成仏(お釈迦様のように悟る)されれば、同じように「死は普通の出来事だから悲しむ必要はないよ」と言われるのではないでしょうか。
漫画をひとつご紹介
前回も回答いたしました、いっしょうと申します。
宜しければこちらの漫画を読んでみてください。
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った』
https://www.shinchosha.co.jp/book/352161/
昨年、映画化もされてますが漫画の方が圧倒的におすすめです。
なぜお勧めするかと申しますとこの作品には
〇弟である作者の悲しみの抱え方
〇切り替えて引きずってないように見えるお兄さんの悲しみの抱え方
〇伴侶をなくした父の悲しみの抱え方が描写されているからです。
ご相談者様の状況とは少し違うかもしれませんが、お兄さんのありように関してもうなずけるようになるかもしれません。前回も記しましたが同じ悲しみに出会ったとしても悲しみの抱え方は十人十色でございます。お兄さんが気持ちを切り替えても、母を忘れることはないでしょう、お兄さんを構成する要素にお母さんは組み込まれていますから。
むしろ忘れるときがあってもいいんです。ずっと意識して生活はできません。
たとえ、こちらが忘れるときがあっても、お母様の側からはいつだってそばで伴走してくれているのです。そして思い出されたときにおかげさまでと手を合わせる生活を送れるようになるとよろしいのではないかと思うところであります。
ご参考までに。
質問者からのお礼
>願誉浄史様
お礼の返事が遅くなり、大変申し訳ございません…
お忙しい中、貴重なご意見を頂き、ありがとうございます。
少しずつではありますが、落ち着いてまいりました。
母が見守ってくれていると信じ、恥じないよう生きていきたいと思います。
ありがとうございます。
>いっしょう様
お礼の返事が遅くなり、大変申し訳ございません…
お忙しい中、貴重なご意見を頂き、ありがとうございます。
教えて頂いた漫画作品の内容は見させて頂いたのですが、家族構成がほぼ同じで何か魅かれるものを感じました。
一度、時間をかけてゆっくりと見てみたいと思います。
ありがとうございます。