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人に裏切られるのが怖いです

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有り難し有り難し 16

行動全てが「人に裏切られたら嫌われたらどうしよう」を基に出来なかったりします

披露宴をしましたが、したくありませんでした。理由は失敗したら恥をかく、人が離れる、他人に対して怒りが湧く、最悪その恥を広められる、そう思うからです。

また主役と言われますが、その主役はゲストのために色々考えて決めなければいけません。全く楽しくなく気苦労というマイナス面しか感じません、

けど親族はそうやって囃し立てて腹が立ちます。
約400万もかけて何にも楽しくないお涙頂戴ショーとかさせるな、ふざけるな、その400万で楽させろと感じます。実際はご祝儀とほぼ相殺みたいなものなのでそんなにかかりませんが…
なのになぜやったか、「そういう考えおかしい」と言われて「おかしい」に反応してしまい折れてしまったからです
パートナーは好きですが、そこで離婚だ!と壊せなかった自分の無力さ弱さで苛々してしまいます。
他の結婚式は行くのが気楽なので何とも思いません

自分さえ良ければいい、他人なんて関係ないと思いながら生きたいです
人との雑談で無理やり笑顔を作ったり話を合わせる事に疲れました、

でもそうしないと自分の人間的価値が下がる気がします。価値が下がれば得られるお金が減る気がします
またそこで人を恨んでしまいます

他人の目を気にしないと、自分に唯一利益がある金というものを稼げないという事に猛烈に腹が立ちます。
もし足を引っ張られたらと思うと猛烈な○意(お察しください)に襲われます
コミュ障の自分は許されないんだ、と感じ全てを憎んでしまいます
仕事のやる気がなくなってしまい、一番大事なお金が減ると思うと憂鬱です。人が憎く怒ってしまう自分が嫌です
友達はいたらいいけど関係を保つのが億劫です、ただただ莫大なお金があれば誰とも合わずに、恥を書くこともなく生きられるのにと現実逃避してしまいます
本当はお金も少なくていいから自由に働きたい、会いたい時だけ人に会いたいそういう生活がしたいです
ずっとやってきた職を変えたり生活を変える事が怖いです 馬鹿にされたらと不安です


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

布施とは貪らざるなり みずからが力を分かつなり

 タイトルは、曹洞宗でよく読まれる『修証義』第四章の中の言葉です。何かしてあげても、見返りを期待すると苦しくなるよ。何かしてあげたら、あげっぱなし。誰かのために自分の力を役立たせていただいたんた、と思えばいいんです。
 私達の心には欲望があり執着があります。「貪り」の心があります。それが布施を実践する事の妨げとなっているのです。むさぼりの心を捨てて、物を惜しんだり骨身を惜しんだりする心を棄て去って、与えるべき時に財物を施そう、手を貸してあげよう、力を貸してあげよう、言葉をかけてあげよう、と道元禅師は説かれています。
『洞林寺住職のブログ』
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510256131.html

 ところが私達はなかなかそのように出来ません。人の為に力を貸してあげても、お礼の言葉が無ければ「なんだ、あの人は」と腹を立ててしまいます。それは、私達の中にある執着が「これだけのことをやってやったんだ」という思いを引き起こすからです。そういう執着を捨て去り、布施という修行させていただきました。と受け止めた方が心が楽になります。

 森田さんは非常に繊細で思いやりの有る方ですね。それだけに、自分の言動が周囲の方々にどう受け止められるか、気にされている。気配りは大事なことですが、すべてに気を使っていたら疲れますよね。正しい行いをした時は、そんな自分を自分で褒めればいいんです。他人から評価されれば嬉しいかもしれませんが、いつも評価されるとは限りません。評価されないと其のことに不満が募り、イライラな状態が続き、〇意を覚えるのでしょう。

 我々の人間関係は、損か得かだけで決まるまるものではありません。確かに、世の中には人の足元をすくうような人は居ます。損得勘定を優先する人も居ます。でもね、全部が全部そんな人ばかりじゃないですよ。他人の目、他人の評価のために、私たちはこの世を生きている訳では有りません。誠意をもって正しい道を歩み、他人の評価や見返りを求めないことです。何かしてあげたら、「布施と言う修行をさせていただきました。修行をさせていただき、ありがとうございます。」 それで、おしまい。楽になりますよ。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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人と人を計る単位

こんにちは、初めまして。

「不本意」な「披露宴」とのこと。
その理由として、「失敗したら恥をかく、人が離れる、他人に対して怒りが湧く、最悪その恥を広められる」等々と書かれています。ご自身でも気づかれているように、他者に対して「裏切られたら」「嫌われたら」という恐れがあるのでしょう。

そういった恐れの感情からすると、「披露宴」とは何とも居心地の悪いものとなると思います。あなたの言われていることには、あなたなりの筋が通っているとは思います。

ただ、少しお考えいただきたいのは、何故そこまで人を恐れるかです。
それは、「失敗」「恥」という言葉から想像するのですが、あなたは成功した自分(少なくとも失敗のない)でないと受け入れてもらえない、そういう焦りがあるのではないでしょうか。

一度、お考えください。
ご主人はあなたが立派な人だから結婚したのでしょうか。失敗含めてあなたそのものが好きだからではないでしょうか。

友達は打算だけであなたと関わるのでしょうか。あなたに惹かれるところがあるからではないでしょうか。

あなたは人を恐れるあまり、攻撃的になりもし、ともすればその関係性をお金だけに換算しているのではないでしょうか。

ちょっと、深呼吸してみましょう。
人と人には、お金のみならず友情や愛情という単位があると思います。落ち着いてみれば、その事実をはごく単純なこととして、きっとあなたの腑に落ちていくことと思います。

ごく身近な人の気持ちを先ずは大切に、大切に噛み締めていきませんか。

ふっと力を抜けば、世の中って、人って温かいものですよ。良いものですよ。

あなたのお気持ちに添えれば嬉しいです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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