いじめって続くのですか?
こんにちは。この度もよろしくお願いします。
長男は昔からいじめられていました。小学生の一年生からずっと。でも息子は息子なりに考えて昼休み、中休み等は1人で図書館で読書してたりとしていたようです。
そんな息子も中学受験をし合格して近所の中学校には通わず中高一貫校に通うようになりました。新しい学校では友達も出来物凄く楽しく学校生活を送っています。
そんな中、最近息子と同級生の子達を偶然見かけるようになりました。やはり集団で道横一列に並び来る車を睨みつけて歩いています。もちろん私も睨まれます。その時にふと、今は息子は違う学校だからこの子達とは会わずにすんでるけど、高校にこの子達が進学したら又通学で会うようになるなと。そこで、又イジメられないかなと不安になってきました。
私の車に息子を乗せてる時に偶然同級生と会った時もニヤニヤしながら何か言っていますし。でも、分かってるんです。親である私がいつまでもこんな考えではダメなのも。分かってるんです。でも、親子で戦った6年間がまた脳裏に浮かんでくるんです。もう忘れなきゃいけないのも分かります。でも、イジメって忘れられる問題じゃないんです。時間が解決する問題じゃないんです。過去に縛られないように努力してもダメなんです。それが、イジメなんです。それほど、イジメって人間の人生で見えない消えない傷をつけるんです。どうしてですか?どうしていじめた側はのうのうと歩けて、いじめられた側はいつもこういう思いをしなければいけないのですか?いつまで続くのですか?何故ですか?胸が張り裂けそうです。叫びたいです!乱文になってしまって大変申し訳ありません。どうかよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今となっては
私もいじめられた経験があります。
小さな学校でしたが、仲間外れや誹謗中傷を受けました。
でも、逆にいじめた経験もあります。
人をいじめたことは今でも忘れることはありません。
私にとって、後悔しても後悔しきれない、償っても償いきれない、深い慚愧の念に堪えません。
相手に苦痛を与えたのだから、その当然の報いであると思っています。
今となっては、この後悔と共に只々このような行いを二度と起こさないよう肝に命じ、生きております。
いじめられた経験も忘れることはありません。
私はいじめられた経験があるので、より相手を思いやるという気持ちが深くなったと感じております。
いじめられたことよりも、自分がいじめたことのほうの苦痛がずっと残り続けています。
息子さんはきっと心の優しい人なんでしょう。
人にやさしくするならば、きっと自分にも優しくしてくれる。
悪いことをしたならば、悪いことが自分の身にふりかかる。
正しく生きていればきっと、救いの手が差し伸べられます。
無理せずに助けを求めてください。
私は息子さんがこの経験を無駄にせずに立派に成長され、決していじめる側にはならないように、そう生きられることを祈っております。
本当に辛い6年間だったのですね。
よく頑張ってこられたと思います。
小学校のいじめは
もう終わりました。
でも過去の忌まわしい記憶・事実は
変わることはありません。
息子さんはそれを乗り越え
新しい場所で意気揚々と生きています。
中学3年間で成長して
昔のいじめっ子にあっても
もう平気になっていることでしょう。
いじめっ子の方も変わるでしょうね。
あなたも変わっていかねばなりません。
過去の忌まわしい記憶・事実は変わりませんが
それの捉え方を変えることは出来ます。
「艱難辛苦、汝を玉にす」
嫌なだけの記憶も
いずれ別な見方を伴うようになっていきます。
肉体が反応しているだけ。
犬に噛まれたら犬が怖くなったりすることもありえます。
危険を警戒するのは、動物としての自己防衛のための本能ではないでしょうか。
花粉症みたいなものです。
原因があって結果がある。
肉体が、入力に対して出力する。
それは、肉体という機械が正常に作動しているだけです。
脳が反応するのを「これが脳の機能だ」と見るようにしてはどうでしょうか。
いじめる側にしても、たまたまいじめるという体験の楽しみを脳が憶えてしまったから、欲の煩悩で何回もやりたくなるだけ。
これも結局は肉体(脳)が入力に対して出力しているだけなのです。
「あぁ、あの子達の脳は運悪く悪さを憶えてしまったんだな」と思いましょう。
質問者からのお礼
お忙しい中本当にありがとうございました。お話しを聞いていただくだけでもありがたいです。ましてや、お言葉までもいただき大変有り難く感謝いたします。
既に前を向き日々生き生きと生きてる息子を見習い私も頑張りたいと思います。
この度はありがとうございました。