自分が自分でわからない
しばらく前から、職場(接客)で求められる事が出来ずやめたいと思うようになりました。
出来ないと言うよりもやりたく無いと思っています。
やりたく無いものいうのは、接客業の要と言われいるお客様への心遣いです。
今まで、
・お店の売り上げを上げるために勉強する
・自分が認められたいから勉強する
(仕事を頑張る)
というスタンスでやってきました。
仕事場で求められているのは
・本当に心からお客様に何かしたいと思う人
・自分も常にポジティブでハッピー、そして健康である事を体現出来る人
です。
私はお金の為、出世の為、自分が幸せでいる為に働いている と思っていて、考えた時にお客様第一では無いとわかりました。
ただ、お客様が嫌と言うわけではなく、お客様が私の接客を受けて戻って来てくださって嬉しいと思うこともあります。
職場の人は、またお客様のお手伝いが出来る。サポートしてあげよう!
と考えるようですが、
私自身は、戻って来てくれて私が嬉しい!
このお客様とのお話楽しかった!
ぐらいでしか無いです。
職場でも、それが自分本意ですとはっきり言われました。
やらなきゃいいじゃないと思うのですが、
結局、辞める理由がやりたく無いからというのは、自分が逃げてるのをそのままにしている事で、どこ行っても同じようになると思っているので、悔しいとも思ってます。
結局の所、私自身が何したいか、何したら良いかわからなくなっています。
気付けば、25年間誰かのアドバイスを受けてその通りに動いて生きている事が多く、また、こうなるといいなと思うとその通りになる事も多く、あ、ラッキー!恵まれてる♪と言う考えで生きていました。
自分の頭で考えて頑張るをしなかったなと思い、頭で考えますが、今度は自分の守りや環境のせいにしてる部分が出てきます。
なんてやつなんでしょうか。
自分でも呆れます。
友達や先輩に相談しようと思いましたが、こんな事相談しても解決するのは自分しかいないから相談しないと言う風に思いましたが、やっぱりそれでも聞いて欲しいと思ってこちらに書いてみることにしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
接客の理想像を高次元に設定してませんか?
質問、拝読させていただきました。そんなに自分を卑下する必要は無いと思います。あなたは真面目で、とても学習能力の高い方だと思います。とても謙虚であり、嘘を言えない方なんですね。他の方なら「自分はこれだけ仕事を覚えた。自分はこれだけ仕事を熟してきた。」と自負するけれど、あなたは謙虚すぎるせいか自分の能力について懐疑的になっているように感じました。
お客さんに接する時、笑顔が大事です。と誰もが思っていると思います。建前としては「心からの笑顔」が望ましいでしょうけど、現実には「作り笑い」「薄ら笑い」になることも当然有ると思います。「お客様の笑顔が自分の喜びです。」「お客様の笑顔が自分へのご褒美です。」という言葉を心から言っている人も居ない訳では無いかもしれません。でも、客単価×キャパシテイー×回転数=売上という計算を頭の中で同時に行うことも必要です。曹洞宗では応供諷経という読経をする時、「山門の二輪常に転じ」という言葉を唱えます。法輪(仏教を教えを広めること)も、食輪(寺を維持管理する方策を練ること)も、どちらも大事です、という意味です。御商売においても、原価計算と経営戦略が大事なのは当然ですが、顧客へのhospitalityが大事なことは言うまでも無いと思います。あなたはhospitalityの重要性を強く認識すると同時に、hospitalityの目標値を高く設定しているため現実を必要以上に厳しく評価しているんじゃないですか?
現場を知らない坊さんは坊さんなりに一生懸命回答に努めますが、現場を知っている先輩に相談してもいいんじゃないですか?
私の勝手な推測ですが、先輩は「もずく酢なめこさんはよくやっていると思うよ。お客さんを笑顔にすることは大事だけど、この商売という枠組みの中で精いっぱいやるだけのこと。すべての客に平等に最高のパフォーマンスを、とは出来ればいいけど、そうはいかない。現実には、上客と普通の客では差をつけざるを得ない。客の不快感を少なく、笑顔を多くなるよう、時には個人プレーで、時にはチームプレーでうまく回していきましょう。」と言うと思います。
追記
完璧な接客なんて有り得ないと思います。お客さんだって十人十色ですから、凄く心に響くこともあれば、響かないこともあります。試行錯誤を繰り返す中で、少しずつ正解に近づいていくしかないと思います。
完全にお客様本位にはならないですよね
私自身がどう考えて生きているのかとかんがえあわせながらお尋ねの文面を拝読していました。
私のFacebookを見ていただくと、子ども食堂をやっていることがお分かりいただけると思います。子供のためにやっており、来週の月曜から給食が始まるので今日で終わりですが、共稼ぎのお宅やシングルのお宅のお子さんたちのために昼ご飯を作って配食をしていました。それが楽しいからやってこれました。今後は通常の子ども食堂は無理なので、テイクアウト形式で子ども食堂を再開します。これも子供のためということは間違いありません。でも、自分の楽しみのため、という部分もかなりあります。あなたでいえば、お客さんのためでもありますが、自分のためでもある、というところでしょうか。これが悪いこととは思えません。また、正直にいえば、子ども食堂で一旗あげたい、世間にいいように思われたい、という気持ちが全くないとは言えません。
お寺の住職の方は、カネ(お布施)が絡んできます。だから、下心がないとは言えませんが、基本、お経をお勤めするのが楽しいですし、ご門徒に何かしてあげるのも楽しいです。今日、お参りに行き、そうめんの話で盛り上がったのっで、去年、お中元でもらったそうめんを差上げたくなり、少しですがお裾分けしました。ご門徒がみんな好きとは言えませんが、基本、ご門徒が好きなので、美味しいものを分かち合いたいという気持ちに自然となります。でも、どこかでソロバンをはじいていないとも言えません。
結局、人間のやることですからお客様本位、お客様に喜んでもらうのが私の喜び、ということにはならないと言えます。あなたの場合、仕事で接客をなさっているわけでお金という代償を得るという目的があるので、完全にお客様本位にはなりようがないですね。
私は、あなたにえらそうなことは言えませんが、お客様に接するなかで無理しているなぁ、という部分がものすごく大きくて違和感があり過ぎるほどにあるなら、おやめになってもよいと思います。ですが、お客様と接することに喜びが感じられるなら、今の仕事に就いたというご縁を大切にこのままお続けになるのがよいと思いますが、如何でしょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
人と話す事が楽しいと感じ、
自分の知り得なかった事を知る事が出来る為、幅広い世代の方と喋る事が好きとずっと思っておりました。
コロナの影響で職場で最小限の接客で最大限の売り上げを作るを求められ、
本来の自分のやり方と全く違う事で成果を出せずに焦っている部分もあると思います。
よく考えてみます。
私の回答の為にお時間を割いていただき感謝致します。