損したくない他人が羨ましいと思ってしまう
自分だって、家庭があって子供がいて幸せなはずなのに、他人よりも損したくない、他人が得をしたら羨ましいと思ってしまいます。
例えば、自分は保育園に受かったのに、他人は保育園落ちて待機児童になって、そのまま育児給付金がもらえて羨ましいとか、自分は結婚して子供もいるのに若い時離婚して再婚する友達が羨ましいとか、自分は男の子を望んでいたけど、女の子だって、友達は男の子が生まれたとか、自分は結婚するときそのまま転職したので失業手当貰わなかったけど、友達は結婚して失業手当金もらって仕事にすぐついたとか、人から見たらそんな事って思うと思うのですが自分が損をしたような気になってしまうんです。どうしたらいいですか??
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「そんとく」にこだわり続けて下さい
『自分は保育園に受かったのに、他人は保育園落ちて待機児童になって…』まで他人が羨ましいとなると、もうどうにもなりません。
結論申せば、自分とは唯一の存在であって「他人の人生は歩めない」のです。そしてそれは、他人の人生を歩まなくて良いということです。人がどうであれ、私は私の人生を歩むのです。それしか出来ません。
損か得か…って、今はそう思っても、次の瞬間はわかりませんよね。保育園落ちた方がトクかも知れないのですから…。
仏説無量寿経に「有田憂田(うでんうでん)有宅憂宅(うたくうたく)」という言葉が出てきます。「田が有れば、田んぼによって憂(うれ)い。家が有れば家によって憂(うれ)う」という意味です。田や家が有ればうれしいけれど、維持管理に悩むことになる。また無ければ無いでやっぱり田や家が欲しいとなる。どっちにしても人間苦しむのだとお経に説かれているのです。
どうか他人ではなく、御自身を見つめて下さい。一番大切なあなた御自身を…。
あなたがどう生きるかが一番大切です。
そんかとくかを始終気にして結構です。そんかとくかを基準に人生を生き抜いて下さい。
ただし、それは「尊」か「徳」か…ですよ。
あなたの大切な一度きりの人生に、仏様は大切で一度きりだからこそ寄り添い続けて下さいます。尊も徳も兼ね備えたうえで…そんなおはたらきがあなたに届き続けて下さっています。
質問者からのお礼
尊か徳か…損ではなくというところにびっくりしたというか、そんなふうに考えられたら素敵だなと思いました。
ありがとうございます