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未来はすでに決まっている?生きて死ぬとは

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有り難し有り難し 25

よく当たると噂の鑑定士がいます。
配偶者の5年先が見えないと言われて現役だったのに3年後突然病で亡くなったり、死期が近い人は死臭がしてきついとか3年先の未来までは見えるそうです。一応鑑定で食べていっているけどお金は設定されておらず気持ち程度でいいし、人の人生を見るから不安だけを残せないと言う理由から制限時間なしです。私はお会いした事ないですが友達や家族が見てもらっています。四柱推命やその人が前に座るだけである程度わかるそうです。私は、大切な恩師を亡くしてから自分で切り開いて生きてきました。周りの人のおかげで今は元気に過ごせています。恩師は占いは一切信じず見たものだけ信じていました。でも、その恩師すら実は未来は既に決まっていて自分で切り開いて生きてきたつもりでも実はもう定められた中で生きていたのかなと思うと怖くなります。四柱推命も然りです。その方は当たりすぎてテレビにも呼ばれていますが断っているそうです。私は白黒はっきりした性格で、占いや運命、宿命などつかみどころのない物事に弱く不安になる傾向があります。私は人が生まれてきた意味はなく、ただ生まれて死んでいくだけと思っています。
そこに意味も価値もないです。ただ生きてきた以上は人の役に立ちたいし意味や価値は自分で見出したいと思っています。あくまでも自分の人生は自分で切り開き、一つ一つの選択次第でいつでも人生を豊かにすることができると信じています。私は不安や恐怖を抱きやすいのですが、生まれてきたことや死んでいくことをもっと自分なりに噛み砕いて理解したいし、いつか死ぬのに死に対して恐怖があるので、死を受け入れて恐怖を無くしたいとも思っています。せっかくこの世に生まれてきて、大切な人たちに出会えて恵まれて、人生の困難も学びとして捉え、今日より明日が充実しているように、生きていることをもっと心から楽しくなれるようにしたいのに鑑定士の話を聞いて恐怖に思う自分がいます。恩師の死も既に決まっていて、私も自分で切り開いて生きているようで決められた枠の中で生きているのかと思うと、怖くてたまりません。ロボットのようにあることなすこと受け入れて定められたように生きるのが人生なのでしょうか?勇気を持って出した答えも決断も、生まれた時から決まっていたのでしょうか?人は、そんな風に生まれて死んでいく人生なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなた自身はどう思う?

ご相談拝読しました。

不安や恐怖を抱きやすいというあなたがそのような話を聞いてしまうとお辛いことでしょう。
さて、仏教においては運命論というのは否定されています。運命論といっても色々ありますが、

①宿作因説-自分が過去世に為した行為の報いによって今生における苦楽の境遇が決定されるとする説
②尊祐説-私たちの経験する苦楽がすべて絶対的な神の意志に依存すると主張する説
③無因無縁説-起こることは全て偶然であるとする説。

の全てはお釈迦様によって退けられています。だからこそお釈迦様は怠ることなく修行することを説きました。

私が何を思い、何を語り、何を為すかということが因となり縁となり未来は変わり得るからこその修行のすすめでしょう。

あなたはどう思うでしょうか?

「お釈迦様がそう言っているから運命なんかないんだ!」

と思うとしたらちょっと危ないかもしれません。結局それは何か強大なものに振り回されていることには変わりないからです。

鑑定士がお釈迦様に変わっても何に変わっても、主体性を失い自らで考え行動することを放棄するならば、運命論があろうとなかろうとそこには「私が生きている」という実感が湧いてこないのではないでしょうか。

生きるという事は不安や恐怖や悲しみを伴う事です。それらを排除しようとして何かにすがるとその何かに主体性が脅かされてしまいます。その歩みはもし楽なものであったとしても虚しく満たされないものであるでしょう。

不安や恐怖は生きている証です。大事なものです。それはなぜ大事かというと、あなたが本当のものを求めているからこそ感じる感覚であるからです。

自分とは何なのか、生きるとは何なのか、死ぬとどうなるのか、そうした根源的な問いの答えを掴んでかりそめの正しさに依存するならば不安や恐怖はなくなるのかもしれません。でもその在り方こそあなたのおっしゃるロボットのようなものかもしれません。

運命があるのかないのか、あったら自分がどうするかは変わるのか変わらないのか、あなた自身で確かめてみましょう。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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どうするかは自分です。

どんな鑑定士と言えでも、人の人生を左右することはできません。
又、左右される必要はありません。
仮にそのようになったとしても、それがどうしたのか。ということです。

人生は、自分で創造していくものであり、神と言えども、私たちの人生に手を加えません。そんなことをしたら人生の意味がなくなるからです。
罰も与えません。それは単なる自業自得、因果応報の報いです。

だから、自分を信じて進めばいいのです。
もちろん、智慧を得ることは大切ですから、学ぶことも大切です。
様々な経験をする中で、人生とは何を得ていくのではないでしょうか。
ちいさんそのものが人生そのものです。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
いつもいつも励まされます。
私の心の拠り所です。

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