愛する主人が亡くなってもうすぐ百箇日です
いつもお世話になっております、愛する夫を亡くしてから、なんとか毎日生きています。亡くなってからリビングと寝室の壁一面に思い出の写真を飾りどこを向いても主人の顔が見られるようにしています、2人で暮らしていたのでそうすることでいつも主人と一緒にいる気持ちでいました、先日そうやって暮らしている私に父親が、そんなことは未練でしかない誰もそんなことまでする人はいない夫はもういないとちゃんと自覚して前を向いて歩くようきつく言われました、もういないんだとはっきり言われたのは初めてで頭ではわかっているのですが急に身体が重たくなり何もできません。もういないわかっていますが、できるだけ家の中は2人で過ごしたままの状態にしていますこれも未練でしかないのでしょうか?これでは主人は成仏できないのでしょうか?いくら私が寂しくてもどうかどうか主人は安らかであってほしいと朝晩は仏壇の前でお経をあげています。
どう想ってどう生きるのがいいのかわかりません、教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ゆっくりで大丈夫です。
ご質問ありがとうございます。
衷心より哀悼の意を表します。
百箇日は別名卒哭忌(そっこくき)とも言います。
卒とは「終える」こと、哭とは「嘆き悲しむ」こと。
百箇日を迎えるころには嘆き悲しむことを離れて、前に進み生きていこうという日です。
とはいえ、そうなれたらいいのですが、なかなか簡単に離れることはできません。
悲しみを終えることはなかなかできることではありません。
未練が残ることもあるでしょう。
悲しんでもいいんです。
お父様ももこさんのことを思って仰られていることもよくわかります。
お父様もご主人様も一番気にされているのはもこさんのことでしょうから。
未練があるから成仏できないことは決してありません。
ご主人様は僧侶の手によってしっかりと導かれおりますから、それはご安心ください。
ご主人の為にもお元気で生活をされることがとても大事なことではあるのは間違いありませんが、もう少しゆっくりと歩き始めても大丈夫ですよ。
もこさんの思いはきっとご主人様にも届いております。
少しずつご主人様を安心させてあげられるように、ゆっくりと顔を上げていきましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます、そっこくきというんですね教えていただきありがとうございます、泣くことを卒業することはまだまだ時間がかかりそうですが、ここに来て色んなことを教えていただき私の一番の心のよりどころになっています
本当にありがとうございます!