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母の死を実感し、孤独に襲われています

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はじめまして。タイトルの通り、一ヶ月前母がくも膜下出血の為急死しました。私が成人を迎える前のことでした。
このような時期のため家に一人でいることが多いのですが、普段なら母と他愛もない話をして笑いあったり、腕を組んでお買い物に行ったり、悩み事があれば何でも話しました。母は私にとって全てでした。私をとても愛してくれました。良き理解者であり、尊敬していました。大好きでした。本当に感謝しかありません。なのにその母はもういない、お帰り、と笑顔で迎えにきてくれない。もう本当にこの世にいないのだと実感し、強い孤独感に襲われてしまいます。
あの時私が一番近くにいたのにどうして気付いてあげられなかったのか、もっと早くに気づいていれば助かったのではないか、私が母の命を早めてしまったのではないか、自分はとんだ親不孝者だ、と強い後悔に襲われてしまいます。自分なんかが幸せになって良いのかと考えてしまいます。授業もあり、勉強もしなくてはならないのですがなかなか身に入りません。よく一人になると涙が止まらなくなります。どうかお力を下さい。宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分で過去を塗り替えてはいけない

死を受け入れるためにも悲しむことは大切ですが、ご心痛お察しします。

非常にお気持ちが大変なことは重々承知です。
ですがあえて厳しい言葉をおかけします。
その後悔、すべて勘違いです。

『どうして気付けなかったのか』
くも膜下出血の兆候は頭痛などですが、とてもわかりづらいです。
医者でない我々が見抜けるはずがありません。気付けたとしても「風邪かな?」くらいでしょう。
なので「気づくことができたはず」というのはあなたの勘違いです。

『母の命を早めてしまったのでは』
よく笑う幸せな人は8年ほど長生きするという統計があります。
笑うことにはストレス軽減の効果がありますからね。
つまりあなたはむしろ健康を良くしていたのです。
なので「私が命を早めた原因かも」というのも、勘違いです。

『親不孝ものだ』
とんでもない。
ここは大人になって、母親側の気持ちになってみましょう。
最愛の娘が、同じように愛情を返してくれた。
思春期の悩みだって打ち明けてくれた、それって信頼している証。
一緒に笑い合ってくれる、幸せな時間があった。
どうでしょう。
愛情も信頼も笑顔も幸せも共有できた。
最高じゃないですか。
お母様にとってあなたは最高の存在だったんです。
「親不孝ものだ」なんて勘違いも甚だしい。
あなたは最高の親孝行を積み上げてきていたんです。
お母様にとってあなたは生きる理由そのものだったと思いますよ。

世の中は無常で、いつ誰がどうなるか、ランダムに訪れます。
明確な因果関係はありません、偶然です。
それでも納得したくて、私たちは因果関係を自分で作り出します。
「悪いことが起きたってことは、あれは悪いことだったに違いない」
そう、あなたです。
過去にしたことは悪いことだったのだ、と自分で意味をねじ曲げているんです。
解釈を抜きにして思い返してください。
あなたのおかげでお母様は幸せな人生を過ごせた。
それが事実です。

生前のお母様は何を望んでいたのでしょう。
あなたの幸せ、ですよね。
それは死後もなお同じです。
だからあなたは幸せになっていいんです。
むしろ、お母さんの分まで幸せを味わってください。
そしてお母さんのお墓の前で「こんな幸せなことがあったんだよ、お母さんの教育のおかげだよ」と伝えて共有してあげてください。
これを聞いたら、お母様は泣いて喜ぶのではないでしょうか。

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おきもち

心ばかりですが

突然のお母さまのご逝去に心よりお悔やみ申し上げます。
どのようにお声がけしてよいのはか言葉が見つかりません。
今は、悲しみの連続かもしれません。
少しでも力になれればと思いますが、どのようなことをお伝えすればよいのかも迷います。

言えることは、たしかにお母さまのお姿は見えませんが、しかし、常にririaさんのことを見守っていることは事実でしょう。
お母さまご自身も突然のことで、かなりショックを受けておられると思います。死という肉体が失われてしまったことを受け入れるには、少々時間がかかります。ririaさんが悲しんでいるように、何故どうして?となります。

しかし、時間の経過と共に、又、ririaさんが少しづつ落ち着かれていくことで、お母さまも落ち着いていかれます。もちろん、なかなか現実を受け入れることは難しいと思いますが、泣きたい時は素直に思いっきり泣いてください。そして笑いたい時は、笑えばいいのです。どんな時にもお母さまが一緒にいるのですから。

お母さまの安らかなること、そしてririaさんをお守り頂くをお祈り申し上げます。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。母が見守っていると聞いて安心しました。目には見えませんが母の存在を感じられたら、とも思ってしまいます。強く生きていこうと思います。

石井様、ありがとうございます。お言葉一つ一つが身に沁みて涙が止まらなくなりました。私は親孝行出来ていたのですね。私は母のような母親になる目標ができました。母のためにも幸せに生きます。

「孤独と向き合う」問答一覧

孤独の力に負けてしまいます

何度かご相談させていただいております。寂しさ、孤独については3回目くらいのご相談になります。 私は孤独を感じるとネガティブスイッチがオンになり、自分が可哀想な理由を思い出の中から引っ張ってきたり(過去に傷ついた出来事など)、涙が止まらなくなったりして、目の前の事に集中できなくなります。幸い、誰にも迷惑かけない程度に自分の心の中にネガティブは収まっているのですが、自分にとって大変迷惑で、今年はこうなってしまう自分を卒業したいです。 現在、恋人はおらず、友達はいますが、この状態になった時にすぐ電話をかけられる人はいません。友達はみんな違う街に住んでいるので、なかなか会えません。時々電話はします。できれば、自分で自分の感情を落ち着かせたいです。 また、今どうしても頑張らないと行けないことがあるので、地元のコミュニティに参加するなど余裕はありません。もちろん、余裕ができたら参加していきたいとは思っています。 前より自分を客観視できるようになって、ネガティブスイッチが入った時、このまま行くと自分を可哀想だと思い始めて、記憶を漁り出すな、と認識できるようになりました。ここまではうまく行っているのですが、寂しい気持ちを処理できずにどんよりして、集中力が落ちたり、眠れなくなったりします。眠れない時は次の日にも響いて、ネガティブを持ち越すこともあります。 寂しい気持ちはどこにやってあげたらいいでしょうか。ネガティブな感情との向き合い方のヒントをいただけると幸いです。宜しくお願いします。

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将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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なぜかいつも一人

子供の頃からふとはぐれてしまったり、輪に入れずに一人になってしまうことが多く、ここのところはやっぱり週末も誰かと過ごすというよりは一人で出かけたりということばかり。 誰かとつるむことがそれだけで良いことかといえばそうではないだろうし一人でいる時にはないトラブルや悩みもあろうかとは思います。 他人で自分の穴を埋めようとしてはいけないとは思います。 外国人の友達はよくできていた頃があって、それでも彼らは帰国して物理的距離に反して会いに行けば大丈夫なのですが親兄弟には言われぬ日々の暮らしでの喜び悲しみを共有する相手がいなくて、それは少しつらいです。同時に、一人いればそれはふと虚しさに襲われて、一人でいない時もやっぱり虚しさに襲われて、でも何かを誤魔化す、紛らわすツールとして誰かと一緒にいたいというわけではないとは思ってます。 虚しさ、これが人をして私から遠ざける何かなのかもしれないです。 飲み屋だスナックに行って人恋しさを紛らしている自分がなにを求めているのかもわからないです。コロナ禍の時に父親が極度の警戒心から出歩かないでくれと言っていた時期には達観した気になって私なら孤独感に苛まれまいと平気を貫いてきたかにみえたのですがつらいのは果たして孤独感なのか、自分の声が誰にも届くことない感覚、あ、それも孤独感なのか。 これとても数十年したらみんないないんだろうなとかやっぱり独りになるんじゃなかろうかと、要らぬ心配なのでしょうがまた虚しくなり。 結局は他人は変えられないし自分だって思うようには操縦できないし、世界は自分のためにあるわけではないし思い通りにいかなさを納得するとか泣き出したいこんな気持ちを飼い慣らすかする術をどうにか身につけたいです。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ