年齢がコンプレックスです。
お世話になります。
今回は、自分の年齢コンプレックスについて、相談させてください。
私はもう40歳をこえて、お世辞にも若いとは言えない年齢になってしまいました。
若いときは、適当に生きてて、勉強もあまりしなかったし、やりたいこともなかったし、ただなんとなく生きてるだけみたいな感じでした。
そして病気になってしまい、その時自分のことを考えたとき、自分には何にもないことに気がつきました。
すごくショックでした。今はなんで若いうちから、なにもできなかったんだろうって後悔してます。
今の若い人たちがうらやましいです。若い人がやってることを、私のような年齢の人がやったら「ババアの癖に」とか「痛々しい」とか、直接言われたことはないけど、ネットでそういうコメントは、たくさんみました。おしゃれもできないし、こんな服私が着るのは許されないと頭のなかで自己否定してしまいます。
自分が辛くなるだけなので、そういうネットのコメント欄はもうみないようにしてるけど、昔みたネガティブコメントは、今も心に残ってます。
今は、インスタで自分の趣味のことを、投稿したりしてます。もちろん年齢は、出してないし誕生日も書いてません。誕生日は、自分は生まれてこなければよかったと思うので、大嫌いなんです。このまま、年をとっていくのか本当に辛いです。悲しいです。
何をするにも、年齢が気になってしまいます。どうしたら年齢なんて、気にならなくなりますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今が一番若いです。
ご質問ありがとうございます。
四苦(生・老・病・死)から逃れることはできませんので、つらいことが多いですよね。
そもそも生きること自体が苦しみですから、老・病・死について苦しいと思うのは当然のことです。
私は年齢はただの数字という理由であまり気にしないようにしております。
ある人から「●●歳には見えません!もっと若く見えます」と言われたら〇〇年も生きてるのに若く見られるのは残念。。。と悲しんでます。
「老けて見える」「もっと年上かと思った」と言われた時には〇〇年しか生きてないのに、それ以上に生きているように見えるのはすごく得した気分と思い、喜んでます。
しかし、実際には年齢制限によってできないこと、できることが多いですから、まったく気にしないで生きるのは難しいですよね。
40歳を超えて後悔の念が起きたとのことですが、そう思えること、そう思えたことが何より幸せなことです。
逆に今だからできることもたくさんありますし、これからだからできることもたくさんあります。
失ったものに眼を向けてばかりいると、新しい大切なものを見失ってしまいます。
今だからできること、今しかできないことに目を向けましょう。
自分にとって今が一番若いです。
そして、何よりもここまで生きた経験があります。
経験や経てきた年齢は何よりの武器です。
心の若さが今を支え、自分の未来を切り開く
私は先日65歳の誕生日を迎えました。年金を受給する年になってしまいました。老眼は進み、成人病の薬を何年も前から処方され、最近耳も遠くなってきました。このhasunohaでは高齢な方です。新しいころを覚えるには理解力がなかなか追いつかなくなりました。でも、今まで自分なりに学び続けたことは、忘れずに自分の中に引出にそこそこ整理されています。ですから、何とか回答僧として出来る範囲で回答に努めています。
他の回答僧の回答を拝見して、宗派が違うと見方も違うし書き方も違うなあと感じることもあります。他の回答僧の回答から、良い気付きをいただくこともあります。まだまだ、自分なりに学んできた仏法を伝えようという意欲はあります。このhasunohaという場で学ばせていただこうという意欲はあります。
江戸時代後期の儒学者で佐藤一斎という方が居られます。其の方の著書『言志四録』に次のような言葉があります。
「少而学。則壮而為有。
少にして学べば、すなわち壮にして為すこと有り)
壮而学。則老而不衰。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老而学。則死而不朽。
老いて学べば、則ち死して朽ちず
若くして学べば、壮年になって世のために役に立つことができる。壮年になって学べば、年をとっても衰えない。歳をとり老いて学べば、死んでもその精神は朽ちることなく、名誉は永遠に残る。」
という意味の言葉です。味わってみて下さい。
hasunohaの回答僧では、山内宥巌さんという方が最も御高齢だと思います。確か80代後半だったと思います。パン工房を経営したり、楽健法という健康法の指導で全国を回ったり、短歌の会を主宰されたりしておられます。私なんかよりずうっと若々しい心を持っていると思います。見習いたいなあと思っております。