父の死との向き合い方
現在27歳。18歳まで実家で父含め家族と同居していました。私は中学生から反抗期で父とはまともに話さなくなったまま大人になりました。
父は私が5歳の頃から病気でしたが、父母は私が心配しないようにと具体的な病状は話してくれなく、父は病気だが長生きするのだと思っていました。
大学進学で実家を離れた後、Uターン就職しましたが、数年後再び県外に出て転職。この間に父の病気は進行し手術ができない状況になりました。しかし私はこの事実をよく知らないままでした。
県外に転職し2年目の夏、父が心肺停止になったが蘇生したと母から連絡があり新幹線に飛び乗りました。なるべく週末は見舞いにいきました。
父は心肺停止の影響で記憶がなくなってしまった部分がありました。同居していた18歳までの記憶はありましたが、私が大学進学を機に実家を離れてからの記憶はありませんでした。そのため私が県外にいることもわかっていませんでした。
父が心肺停止したこの時期、私は婚約しました。意識が途切れ途切れの父に婚約の報告をしました。
そして、私は当初予定していた結婚式の日を父の寿命を考えて2ヶ月程早めました。
父は体が落ち着いていきリハビリもし、ゆっくり歩けるようになりました。
父にとって最後となる年末年始。一緒に実家で過ごしました。しかし、母、兄も疲れてイライラしやすく、私もむしゃくしゃしてイライラしやすく、私と兄は一家団らんの食事の際口論になりました。私は兄が怒鳴り散らしたことをきっかけに、皿や箸を投げつけ割りました。そばにいた祖母は泣いて止めようとし、父も止めようと必死でした。悪いことをし父母に謝りました。父は許してくれました。私は精神的に限界だったと思います。
そして入籍まで約10日、結婚式まで1ヶ月を切った頃、父は入院先で亡くなりました。車椅子で結婚式に出ると張り切っていたのに。私は県外で仕事中で、職場に母から報告があり地元に駆けつけました。
約20年、父の病気を知らずに反抗してばかり。自分のやりたいことのために地元を離れていた私。父との時間をもっと作れば、もっと素直になれば、もっと温厚でいればよかった。私へのお仕置きとして、結婚式前に父は旅立ってしまったと考えてしまいます。私は父に寂しいことやひどいことばかりしてしまった。父はこんな私を本当に許してくれているのか。父の死との向き合い方がわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今からでも、ご供養しましょうよ。
こんばんは。ご相談、読ませて頂きました。
このhasunohaでは、あまり宗派色は出さないようにしているというか、出しても仕方ないと感じてはおりますが、「今からでもご供養しましょうよ」と思います。
私は浄土宗ですので、「お父さんの事を思い出して、お父さんが安寧に過ごせるように、南無阿弥陀仏とお称えしましょう」という想いがわき起こります。
人が亡くなっていく時、「私としては十分やることはできました」というお話しを伺うこともありますが、「それは、そう言葉にすることで、自分を納得させている」面があるのだろうな、と思います。つまり、恐らく誰もが何らかの後悔を抱えながら過ごしているのではないかと。
その意味で、私も貴女と同じです。お婆ちゃんに対して、お祖父ちゃんに対して、見送ったお檀家さんに対して、「ああ、完全にお別れをする準備が出来ていなかった」という後悔を抱えて、今を生きています。
それを補ってくれる、救ってくれるのが仏様の力だと私は考えております。自分の限界や至らなさに気付いた時、「それでもカバーしますよ」と言ってくださる仏様がいるわけです。お念仏お称えすることは、「自分の至らなさを知り、なお仏様におすがりする」謙虚な姿です。
「お仕置きをされた」と思うのであれば、今からの人生を賭けてそれを返していきましょうよ。周りの人達に返していきましょうよ。できることをしていきましょうよ。「人との時間を大切に。人と会う時は素直に温厚に。」その教えを守り、よりよい人間関係を創っていくことが、お父さんの思いに答える道筋だと思います。
何となれば、あなたが寿命を終え、極楽でお父さんと再会された暁に、「お蔭で人生の大切な事に気付きました。その後、実践して生きることが出来ました」とお話しできれば最良ではありませんか。
質問者からのお礼
人との時間を大切に。人と会う時は素直に温厚に。今後このことを実行できる人間になりたいです。
アドバイスありがとうございました。