自己嫌悪で立ち直れそうにない
先日、上司と衝突し、4年勤めた会社を辞めることになりました。
原因は上司にありますが、冷静に伝えることができたら良かったのに
頭に血がのぼってしまって上司に暴言を吐き仕事を放棄してしまいました。
上司だけでなく他の方にも迷惑をかける形となってしまいました。
その結果として、厄介払いをするが如く退職を勧められ、受け入れました。
通常なら退職までに引継等がありますが、それすら不要とのことでした。
皆が私にもう職場に来て欲しくないようでした。
謝罪の場すら与えていただけない、その事実がつらいのです。
自分の我慢が足りずにこういう結果となり、受け入れ難くも受け入れて次に進まねばならないことはわかっています。
しかし、後悔と自己嫌悪、そしてこの4年間の頑張りは何だったのか、との思いが頭を離れず、悩み苦しんでおります。
生活があるため、すぐにでも再就職活動をしなければいけませんが、
こんな私を必要としてくれる会社などないと思い、ふさぎこんでおります。
少しでも前向きに生きられるようなアドバイスをいただけたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それは、その時の縁によって起きた出来事
こんばんは。「4年間、頑張ってきた」とのこと。お疲れ様でした。
仏教では物事が起こる仕組みとして、「因縁」を指摘しています。砕いて言えば、「物事は、原因となるもの、それを取り巻く環境や状況の作用によって生起する」と言うことです。
つまり、「今回の衝突は、あなたという因が、その縁に触れておこった。その縁とは、その上司とその時の環境すべてである」…回りくどいでしょうけれど、こうなのです。
言い換えれば、「私は上司と衝突する可能性はある」、けれど「そのための縁が整わなければ衝突ということは起こらない」のです。
「こんな私」であっても、どうなるかは環境とのご縁次第です。紫陽花のように、「植えられた土壌によって花の色が変わる」のは自然なことでしょうよ。あなたが良いご縁と会えますように、
質問者からのお礼
佐藤良文様
お忙しい所、ご回答くださり誠にありがとうございます。
今回のことがあってから、ふとした時、いえ、ほぼほとんどの時間を後悔や自己嫌悪に費やし、悲しく苦しい思いをずっと引き摺っておりました。
しかしながら、佐藤様よりいただいたお言葉がとても胸に響き、
心が少し晴れたような感覚でございます。
「こんな私であっても どうなるかは環境とのご縁次第」
このお言葉を大切に胸に留め、前を向いて生きていきたいと思います。
本当にありがとうございました。