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遺骨を食べたいと思っています。

回答数回答 3
有り難し有り難し 31

母が亡くなりました。
私は決して良い子どもではありませんでした。
ですが、私なりに母を愛していました。
生前、確執があり、あまり母に会うことがありませんでした。
寂しい思いをさせました。
今、49日までの間、母は私のところにいます。
遺骨に話しかけ、お線香をたき、食事を供え、過ごしています。
49日に納骨をするのですが、そうしたら、なかなかお墓には行けないでしょう。
離れるのが、寂しくて、納骨も本当はしたくありません。
遺骨を食べたい、そしたら、ずっと一緒にいられる。このところ、その思いで頭がいっぱいです。
いけないことでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつもあなたのそばにいらっしゃいます

ご質問有難うございます。
拝読させていただきました。

愛しているものとの別れは、本当に辛いものでございます。
大切であれば大切なほどお辛いことと思います。。

死とは、人間にとって避けては通ることのできない最大の苦しみです。
どんなに権力があっても、お金があっても死というものから逃れることができません。
人はうまれおちた瞬間から、死に向かって歩き続けております。

大切な人の旅立ちというと、どこか遠くにいってしまったように感じてしまいますが、実は、みみんさんのお母さんはすでにあなたの身体の中におります。

「みみんさんの頭はお母さんの頭 みみんさんの足はお母さんの足
 みみんさんの十指はお母さんの指 みみんさんの口はお母さんの口」
なのです。

今、されているように話しかけられ、お線香をたき、ごはんをお供えする。
生きているように接していると、きっといつまでもみみんさんのそばにいてくれて守ってくれますよ。

また、お母さんを大切にすることと同じように、ご自身のことも大切にしてください。

ご質問のお答えにはなっていないかもしれませんが、私はそのように感じずにはいられません。
みみんさんの今後の人生が豊かなものになるようにお祈りしております。

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おきもち

合掌 私は日蓮宗の坊さんです。 2人の男の子を持つ父親でもあります...
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この本を読んでみてください。

https://www.shinchosha.co.jp/book/352161/

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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意味ないです

食べたら一緒にいられるのでしょうか?
だったら、すでにあなたはお母さんの母乳(血液みたいなもの)を飲んでいますから、ずっと一緒だったのです。
焼かれた燃えかすの骨を食べても意味はないと思いますよ。
でも、食べたいなら、ちょっとだけ食べてみてはどうでしょうか。
身体に良いとは思いませんが。。。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

やさしいお言葉を頂きました。
ありがとうございます。
私はどうしていつも自分勝手なのでしょう。別れの恐怖や、最期にすら一緒にいることができなかった後悔や、冷たい娘だったことの懺悔や、これから生きていくこと・生きていけないと思ってしまうことの不安から逃げるために、このどうしようもない欲求がきているのだとわかっていて、それでも、この自分勝手な思いにしがみついてしまっているのです。
すでに私の中に、母がいるのですね。私の手は母の手、なのですね。ああ、きっとそれは本当なのだろうと思ってもなお、能動的な行為でないと私はそれを感じることができないほど、鈍感で自分勝手な人間なのです。

「お遺骨」問答一覧

遺骨を預かってもらうお寺

子どもの遺骨を預かってもらうお寺について悩んでいます。ここで詳しく書くとお寺と人物が特定されてしまうので控えさせてください。 私の両親はまだ元気ですが亡くなった時に、両親の遺骨と子どもと一緒に先祖も納骨しているお寺へ永代供養と考えています。 まだまだ子どもの遺骨と離れ難いのですが、前に進む方法が見つからず、遺骨を信頼できる近くのお寺に預けたいと考えるようになりました。 子どもが亡くなってから何度かお寺のご夫婦にお会いしました。失礼かもしれませんが、修行をされたとは思えない、人の話を聞く姿勢ではなく自分の家族の話ばかり、お寺を商売と言うことから不信感があります。修行をされてないと感じるのは、百箇日を過ぎた頃、私が四国のお遍路に行き、先達さんから沢山の為になるお話を聞いたからかもしれません。 3時間の滞在のうち2時間半は上記のようなお話、子どもの遺骨のこと、一周忌のことに話をやっと戻すことができ、帰ることができました。 どんなお寺でもおそらく朝晩読経してくださるでしょうし、たとえ門がいつも閉まっている街のお寺でも、私が日中不在の家より子どもにとって良いのではと思い相談に行きました。 小学生のお子さんもいて、お金がかかるという話、高級車2台。妬みかもしれません、所得の少ない私ですが決められた金額を提示されればお布施するつもりです。 もし預かってもらえるとして、本当にこのお寺でいいのでしょうか。子どもにとって、自宅から近くて安心できるのではと思います。このお寺でいいのか、教えてください。

有り難し有り難し 41
回答数回答 4

お墓の遺骨と納骨について

初めて相談させていただきます。 25歳で旅立ってしまった長男の納骨を控えています。 先祖代々のお墓が我が家所有の山の上にありますが、主人が確認しに行ったところ問題がいくつかありましたので相談したいと思います。 我が家は浄土真宗 本願寺派です。 納骨してあるところを開けてみると骨壺に水が溜まっていたり、ビニール袋に遺骨が入れてあったりという状況だったらしいのです。一番最近の遺骨は40年位前に亡くなった主人の祖母のものです。その状況ではいけないと思った主人が骨壺を新たに2個購入してきました。無造作(?)に置かれた遺骨をまとめて新しい骨壺に入れて収めようと思っていますが、それで大丈夫なのでしょうか? また、長男の骨壺は大きいものを用意していまい、お墓の納骨室の入り口から入れることができません。お墓は昔のもので入り口がかなり小さかったようです。 主人は長男の遺骨を砕いて収めるか、2~3個に分けると言っていますが私はそれが納得できずにいます。 早すぎる息子の旅立ちをまだ受け入れられずにいるのも正直な気持ちであり、お墓のことをゆっくり考えながら納骨を先に延ばすこともありかとは思うのですが、49日に納骨をするべきだとも言われて迷っています。 (小さな分骨壺を自宅に置いて49日に納骨することで一度は納得したのですが、お墓の事情が分かってからまた悩んでいます。) 菩提寺の住職は現在お寺には住んでおられず(尼さんで嫁ぎ先の一般家庭にいらっしゃいます)お勤めがある時だけ来られます。お彼岸勤め、お盆勤めはご高齢(70代)ということで、最近はされていません。後継者は今現在いらっしゃいません。そのような状況で相談しにくいと主人は言っており、こちらで相談させていただきました。 長々と書いてしまいましたが、どうかご教授お願い致します。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

家での遺骨の扱いについて

初めて質問させていただきます。 昨年末、母が他界しました。 私にとって身内の死は初めてで、また両親は共に親戚もほとんどいなかったので、親父の実家が真宗大谷派であったという記憶をもとにお寺を依頼し、小さなものですがお内仏もネットで必要最低限なものを一から揃え、直葬と先日には49日の法要をあげていただきました。と言ってもお墓もまだないので、お金を貯めてお墓ができたら納骨しようと思っており、それまではお内仏のそばに置いておこうと思っております。 そこで教えていただきたいのですが、家には母が生前に可愛がっていて先に旅立った犬の骨壺もあり、気持ちの整理が出来たらペット霊園に納骨しようと思っているのですが、それまでの間は母の骨壺と犬の骨壺を同じところに置いておいて大丈夫なものでしょうか?それとも別々の離れた場所や別の台などに置いておいたほうがいいでしょうか? 今はお内仏の下の台に母の遺骨を置いており、お内仏の手前に母の写真を置いていて手を合わせております。一般的には動物と人間のお墓は別だとはわかっていますが、一緒にそこに犬の骨壺も入れておき、写真も母の隣に置くと母も喜ぶのかなとも思い、お坊さんの見解をお聞きしたく、質問させていただきました。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ