母が樹木葬を希望しています
私の母が、「死んだらここに埋葬して欲しい」と、樹木葬の墓地を見つけてきました。義両親(私の祖父母)と同じ墓には入りたくないそうです。
私は結婚し、実家から遠く離れたところに住んでいます。跡を継ぐ男兄弟もおりません。
母は、今後墓参りで子供や孫に負担をかけたくない、いつか墓守がいなくなる心配もしたくないと言います。
本人の希望を叶えるのが1番だとは思うのですが、樹木葬というものが無縁仏のような?なんだか寂しい気がして複雑です。
かといって、いつか両親がこの世からいなくなってしまった時、どうしたらいいのかわかりません。母の希望だけを優先していいのか?そもそも母と父の墓を分けていいのか?
(父は祖父母と同じ墓に入る前提での話です。確かに両親は仲良し夫婦というわけではありません。でも何十年も連れ添った夫婦なのに…という気持ちです)
実際、私が母と同じ墓に入るのは難しいでしょう。今住んでいる場所は、年に何度も故郷へお墓参りに通える距離ではありません。主人の仕事の関係もあり、これから先、故郷の近くに住むこともないと思います。
もし私が死んだら?私の子供が不真面目で、私の故郷へ墓参りをしに来なくなってしまったら?
考え出したら止まりません。両親はまだ元気ですし、このような問題からは逃げたくなりますが、私は長女ですし、いずれは向き合わないといけないでしょう。
人は死んだらどこへ行くのでしょうか。
もし両親がいなくなっても、私が生きている限り、墓前に会いに行きたいです。でも、両親はそれを望んでいないのかも。では、どうしたら?と毎日考えてしまいます。両親から遠く離れた場所に嫁いだことさえ後悔してしまっています。
なぜ、両親の近くにいてあげられられないんだろう。あと何回会えるんだろう、と。
私はどうするべきなのでしょうか。
いつか必ずやってくる両親の死と向き合うのが怖いです。両親だけでなく、旦那や祖父母がいつかいなくなってしまうことを考えるだけで涙が出ます。考えても仕方のないことですが、でも、いつかその時は訪れてしまうでしょう。考えただけで悲しいのです。いっそ私が1番最初に死んでしまいたいです。
情け無く、悲しく、虚しいです。
私はどうするべきでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どちらでも良い
遺骨は遺品の一つにすぎません。
かつての身体の一部。ただそれだけ。
爪や髪の毛を切っても平気でゴミ箱に捨てますよね。それと同じです。
どこに埋めようと、たいした問題ではありません。
私たちは死ねば、新しい生きものに生まれ変わって新しい生活を始めます。
あなたにもお母さんにも前世があり、宇宙のどこかに前世の家族や前世の遺骨が存在するかもしれませんが、現世の生活には関係ないでしょう。
前世の記憶は、普通は忘れているので。
ということで、墓石でも記念樹でも位牌でも、亡くなった人を思い出して拝むための依り代(媒体)さえあれば、物理的な遺骨の場所はどうでも良いのです。
お母さんの写真1枚あれば、お母さんを拝むことができます。
たとえば私たち仏教徒は、2500年前に亡くなったお釈迦様の遺骨を納めた塔を拝む場合もあるし、お釈迦様の足跡を表現したモニュメントを拝む場合もあるし、お釈迦様の像(仏像)を拝む場合もあります。
いずれも、亡くなった偉大な師匠を拝むための媒体にすぎないのです。
遺骨をペンダント等に加工してくれる業者もあるようですが。
反対する必要はありません。
現時点でのお母さまのその想いを
どうぞ受け止めてあげてください。
事情で近くに住めなくても
連絡の回数を増やしたり
長期休暇には会いに行ったりは出来ます。
「また今度でいいや」ではなく
「今行こう」を心掛けましょう。
先の話になりますが
実家のお墓にお参りできなくなれば
墓じまいして
あなたの近くのどこかの合同墓に
御骨を遷すこともできます。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい、誠に申し訳ございません。
父や母が終活をしていることを知ってから、以前よりも会いに行こうという気持ちが強くなり、頻度も増えたと思います。
遺骨は遺品の一部にしか過ぎないというのは、私には全くない考えでしたので驚きました。ですが、近くにいられないことはどうしようもないことなので、今後は教えていただいたような考え方をしていかなければいけないなと思いました。
まだ樹木葬に抵抗はあるままですが、母の気持ちを尊重し、私にできることをしていこうと思います。
ありがとうございました。