嫉妬することをやめられません
幼い頃から、周囲が自身より優れているとすぐに妬み僻んでしまいます。現在も、友人や親戚は続けている仕事があったり、子どもに恵まれていることに対し、自分には何もないと嫉妬ばかりの日々です。
自分は自分と言い聞かせはするのですが、他者より優位に立って安心したいとの欲望が強く、常に不安で、うまく気持ちや考えを変えられない自分自身に疲れてしまいます。
もっと、妬みや僻みをうまくコントロール出来れば、生きやすいことは分かってはいますが、自分の中で気持ちを上手くコントロールすることができませんできません。
こんな自分とどのように付き合っていけば良いでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏様の真似事をしましょう
嫉妬。辛いですよね。例えば他人の結婚や出産など祝い事を自分のように嬉しく思えることもあれば、嫉妬に苦しむこともある。全く同じものを見ていながら嫉妬で苦しみの世界に堕ちる人もいれば、心から幸せを感じる人もいる。貴方様ご自身も仰る通り、これは頭でわかっていてもどうにもならない苦しみなのでしょう。
仏教の教えでもこの部分を如何に修行で克服するか、要するに仏様の慈悲の心を獲得する為にどうやったら嫉妬心を離れるかを説いてます。そのきっかけになるものは何かといえば、それは私のハンドルネームでもありますが「持斎」だと言うんですね。
人間誰でも、自分の欲望に身を任せて生きると、得ても得ても何一つ満たされず、そして他者を妬み、次のものを求めてしまうものです。これを仏教では苦しみの原因と説きます。ただどんな欲にまみれた人生を送っている人でも、ある時、善い行いをしたいと思い。他人の為に何かしてあげようという心が起こることがありますよね。これが「持斎」の心です。本来は自分の食事を切り詰めて、それを欲している対象に施す行為を言います。
そしてこの善き行いを実行したとき、人間の心は欲望や嫉妬による苦しみから少し離れ、安息を得ると説かれています。このように、他者に施す行を積むこと、「与える喜びを知る」ことを我々は仏道修行の第一と捉えるのです。
そしてその施しの心をどんどん広げていって、誰も分け隔て、差別せずに、愛おしい人も憎い人も関係なく、全ての魂に平等に施す、慈しむ仏様の慈悲心に自分の心を近づけていくこと。これが仏道修行のほぼ全てといっても差し支えないかと思います。
私は真言宗の僧侶ですが、尊敬する和尚に教わったのは、「仏様の真似事をするんだ」ということです。「真似事」というとまやかし、嘘、偽善というイメージがありますが、その和尚いわく「泥棒の真似事をして、人から何かを取ったら、それは泥棒と一緒だろ。だから仏様の真似事をして、自分の心に嘘をついたつもりでも良いから、憎い人を頭に浮かべたら、自分は仏様なんだから、その人も幸せになれば良いなぁと思うんだ、そうすればお前さんも仏様と一緒だ」と言われたことがあります。
心が辛くなった時は、どうぞお手を合わせて仏様の真似事をしてください。「誰彼の幸せを自分は祈る」と心の中で念じるだけで、随分気持ちが楽になるかと思いますよ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。回答を読んでいくうちに、気持ちが楽になりました。
いただいたお言葉のように、辛い時は「誰彼の幸せを自分は祈る」と、仏様の真似をしてみたいと思います。本当に、ありがとうございました。