世界一大好きな祖父の死
祖父が亡くなって約1年経ちました。
世界一大好きな祖父です。慈悲の心を持った、まさに仏様のような祖父でした。無償の愛でいつもわたしを可愛がってくれました。
なるべく側にいたのですが、たった1時間ほど席を外した時にちょうど息を引き取りました。代わりにわたしの兄弟、父が看取りました。
看取れなかった、自分のタイミングの悪さに大変後悔しました。でも、心のどこかで看取るのが怖いという思いも少しありました。
大切な人が亡くなるという体験は初めてでした。
夢に出てくるかな?なにかわたしに言いたいことあるかな?といつも考えてますが、不思議な体験もなにもありません。
母方の祖父なので、お仏壇は母の兄に引き継がれました。
色々な事情があってお仏壇には行けないのですが、心の中の思いや拝みは届いているのでしょうか。(遠くに住んでいるのでお墓参りも年に1度くらいしかいけないです…)
祖父は浄土真宗、わたしは浄土宗です。
私が結婚したらまた宗派も変わってしまうかもしれません。それでもいつか自分が死んだ時に会いたいです。宗派が違っても、いつか会えるのでしょうか。毎日思い出します。あっちの世界でも、どうかしあわせでいてほしいです。
祖父の死から色々なことを学びました。いつも見守ってくれていると信じて生きたいです。
祖父のような慈悲の心を持った人間になりたいと思うのに、人にキツくあたってしまったり自分が嫌になる。だらしない自分も嫌。良い人間になりたい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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知恩報恩
それだけ愛されていて、お祖父さまは幸せですね。その想いはきっとお祖父さまに届いていますし、あなたのお陰で、向こうの世界でも幸せに暮らしていることでしょう。
私は日蓮宗の僧侶なのですが、日蓮聖人は「所詮、亡者の浮沈は追善の有無によるなり」と仰られております。つまり、亡くなった方が、向こうの世界で苦しみに沈むか安らかに浮かばれるかは、遺された者が善い行いをするか否かによるんだよ、ということです。では、どうすれば善いか。一番はお坊さんにご供養してもらうことですが、それと同じくらいに大切なことがあります。それは、生前愛してくれたお祖父さまから受けた恩を、あなたが自分以外の方の為に施していくこと。お祖父さまがしてくれたように周りの方を愛していくことです。すべては「縁」によって繋がってゆきますので、そうして生きていくことで、あなたがこの世の生を終えた時に、またお祖父さまと巡り会えるのです。
「知恩報恩」という言葉がございます。「恩を知って恩に報いる」。これを大切にして頂ければ、お祖父さまも喜ばれるでしょうし、あなた自身も人として豊かな生き方が出来るでしょう。
どうぞ、ご精進下さいませ。
拝
質問者からのお礼
本当にありがとうございました。何度も読み返しては救われました。