生きる指針
うつ病で一年半近く療養していますが、社会復帰に向けて努力しています。
症状は収まってきたものの、自分を病気に至らしめた心の中の根本にある恐怖や渇望に未だ支配され、その不快感から逃げることが自分の行動原理になってしまっています。
この強固な負の実感は、生育歴に由来した動かしようがない足枷のような業で、その上に自己肯定感を築いても、地盤がゆるすぎて全てがヘドロに飲み込まれるような感覚さえあります。
仏教では、全ては変化するし、固定的実体はない、執着することが苦しみ、というふうに言っていると理解しています。
自分の心の中のトラウマのようなものも、実際のところそれを発生させている関係性にしがみついているだけで、それを手放せばいかようにでもに認知できるし、別の関係性も作り上げていくことができる。
そういったフレキシブルさを仏教から学んで心安らかに生きたいと思っているのですが、実体がなく流動的な世界のありようを、俗の現実世界で関係性(縁というのでしょうか)として新しく編み上げていくための指針のようなもをお釈迦様は説いていらっしゃるのでしょうか。
(中途半端な理解ですみませんが)
色→空 で、ああー世界のありようはそういうものなのか、と思ったあと
空→色 側の流れの中で心安らかに、人と関わり、良く生きていくためにどうすればよいのでしょう。自分の中の指針がほしいのです。
教えていただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【不立文字】【教外別伝】【無義以義】
"(中途半端な理解ですみませんが)"
うん、そうだね。
仏教は【待機説法】です。腹痛の患者に頭痛薬を飲ませても効かないように、仏教系であれば何でもOKというわけではありません。とりあえず、あなたの知っている仏教っぽい話は、一旦ぜーんぶ捨てちまえ、と私は思います。
今のあなたに必要なのは、そういう理科チックな理屈ではなく、そういう説明くさい思考回路からスパッと離れることなのかもしれませんよ?
野に咲く一輪の花を見て、純粋にあらかわいいと思えますか?
夜空に輝く星を見て、単純にわあきれいと思えますか?
<追記>
"小賢しいと思われたかもしれませんが"
いいえ、そんなことはありません。
"わらにすがる思いで調べて自分なりに理解し"
これはやっぱりちょっと危険かもしれません。昔から「生兵法は怪我の元」といいます。趣味や教養程度で学ぶならいいんですが、あなたは実際に鬱病の既往歴もあり、現在も実生活に支障をきたす可能性があって「わらをもすがる思い」であるのなら、尚更心配です。流行りのマインドフルネスをはじめ、仏教にはもちろん心理療法としての可能性も期待できますが、それが最終目的ではありません。
<追記2>
大変結構な心がけだと思います。雨散歩で見かける紫陽花は、仏教の薀蓄も自然科学の理論も抜きで、ただひたすらに美しかろうと思います。やがて、あなたの波立つ心もまるで鏡面の如く落ち着く時、きっと意識の水底にあるものが在々と見えることでしょう。
質問者からのお礼
転落院様
ありがとうございます。
私は、花や星や生き物を見て、ありのままの美しさを感じることができます。
病気のなったことによる収穫は、そうした美しさに触れて、脳みそをオフにする術を知ったことです。
でも社会にもどって同じことができるかといえば難しいです。自分の欲望や人間関係、利益、労働、そういったものに巻き込まれて、私はまた病むと思います。
だからマインドフルな側面をもちつつ自分の闇にはまらない指針がほしいんです。小利口でかじった知識で小賢しいと思われたかもしれませんが、わらにすがる思いで調べて自分なりに理解し、質問しました。
転落院様
追記誠にありがとうございます。
たしかに生半可で誤解を含んだ上に知識なり実践なりをつかうことは、私の今の状態からするととても危険なことなのかもしれないですね。
また、転落院様の仰ったように自分の思考から距離をおくべき、というのは医師も福祉系の支援をしてくださる方も、言ってくださっていることです。
一方で、療養中現実と距離を取りすぎていたので、社会に戻るという現実に向けて問題に向き合わねば、失敗を繰り返さないための方向性をつけねば、という焦りがあり、思考にどっぷりはまっています。
とはいえやはり考えすぎだし、安易な答えにすがろうとしているのも甘々だと感じていますので、雨散歩して紫陽花の咲いているのを見て少しでも手放してきたいと思います。
ありがとうございます。
転落院様
ありがとうございました。
お花も月も綺麗でした。