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亡くなった息子と夫。親族の事

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有り難し有り難し 16

初めて相談させていただきます。よろしくお願い致します。長文で申し訳ありません。
先日息子が亡くなりました。27歳でした。息子は障害をもって生まれ体もあまり丈夫ではありませんでした。亡くなる時は体力も落ち本当に辛そうだったので、もう仕方ない今までよく頑張ったねという思いで見送りました。
私は夫を自死で亡くしています。その時2人の子供はまだ小さく、仕事での借金、度重なる浮気など亡くなった後にわかった事も多く、本当に辛い日々でした。ただ目の前の子供を育てていかなければという思いで必死に生活してきまた。
夫が亡くなってから仕事もしていましたが、自分なりに頑張ってきたのは子育てでした。なので息子が亡くなった事は理解していても本当に辛く、私の必死だった20年はなんだったんだろうという虚しい気持ちと共に、月日の流れの中で思い出す事も少なくなった夫への複雑な思いが蘇ってきました。あの時夫が自死を選んだ事で私の人生は大きく変わり、その事で経験した悲しみ苦悩を自分の中でどう消化していいのか未だにわかりません。許せないという気持ちです。亡くなった人にそんな感情を持つ事は許されるのでしょうか。

そんな中、普段から気に掛けてくれて、息子が亡くなった時にもとても力になってくれた親族と飲みに行きました。辛い気持ちを少しでも聞いてもらえればというつもりでしたが全然違いました。
私がひとこと言うとそれに対し全く理解出来ないことや、私の生き方そのものを否定するような言葉をたくさん言われました。確かに親族から思えば私は理解し難い道を歩んでいるのかもしれません。私の人生に対して親族が思う事をずっと言われ続けました。
人それぞれ人生も経験も違うので、理解して欲しいというより話を聞いてもらいたいと思っていたのですが、それも甘えだったのでしょうか。

またコロナ禍やスキル不足で仕事も決まりません。
色々な事が重なり辛い日々です。
一緒に住む子供の為にも頑張りたいと思っているのですが、今後どのような心持ちで暮していけば良いのか自分ではわかりません。ご教授いただけると有り難いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの深い願いを見出そう

ご相談拝読しました。ご子息のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

ご主人亡き後、子育てに仕事と本当によく頑張って来られたのですね。並大抵のご苦労ではないと思います。誠に頭が下がります。

今、ご子息の命の終わりを通して様々な感情が湧き上がり、ご主人に対して許せないという気持ちも生じてくるのですね。そのような感情を持つことにうしろめたさも感じるのですね。

そうした感情は許されるのかとのことですが、問題ありません。大丈夫ですよ。
どんな気持ちもそれが今の自然な気持ちです。自分でそう思おうとしたわけでもなく、生じてくるものなのですからそこに良いも悪いもないのです。

そうした気持ちでもいいというのはけしてご主人を許さなくてもいいというのとは違います。その気持ちを未来永劫に渡って変わらない固定的なものとして受け入れるのでなく、あくまでも今の自然な気持ちとして認めて受け入れるということです。この先は変わる可能性があるものです。

ご親族については何も今その様な事を言わなくてもと感じます。配慮が足りないように見受けられます。
しかし向こうの立場からするとこのタイミングでなければ中々あなたとじっくり話せる機会も無いと思ったのかもしれません。もちろんだからといって何を言っても許されるというわけでなく、あなたの悲しみをまずは受け止めて欲しかったというのは私も同じく感じるところです。

さて、これからの心持ちについてですが、こう考えなければならないということはないでしょう。そうしたものに縛られてはかえって自分を責めることにもなりかねません。
感情の揺れは自然なものとして認めつつ、そうした感情とは別に何か願いをベースにできるといいのかもしれません。

感情としてはそう思えず沈んでしまうこともあるけれども、本来私はこのように生きていきたいんだ!という願いです。

それはけして焦って見つける必要はありません。それは外に見つけられるものでなく、きっとあなたの深いところから促されてくる本来の願いでしょうから、じっくりと見出していけばいいのです。
亡きご子息から問いかけられるものが、そのあなたの深い願いと共鳴する事と思います。

またいつでもご相談ください。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武文法様

私の相談にご回答いただきありがとうございます。
吉武様の暖かいお言葉を読ませていただき涙が溢れてきました。
悩みがちな性格のせいか、自分で考えだすと同じことをぐるぐると考えてしまい、息子が亡くなってから毎日そのような状態でした。
感情の揺れを認めるというお言葉で、持て余していた自分の感情を受け入れられそうです。
息子は体調が安定している時はとても明るい子でした。願いのような事をとの言葉に、色々な辛い事があった中で忘れていた、明るく楽しく日々を送りたいという自分の気持ちを思い出しました。
悲しみや辛さを認めつつ、少しずつ自分の中にあるものを見つめていきたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。

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