本当の友達が欲しい
私には本当の友達というものがわかりません
何裏切られたり、縁を切られたりして、もう人を信じることができなくなってしまいました。
例えば、先に友人と予約していたのに、もう1人の友達が入ってきて、そこで3人の都合が合わなくなり結局わたしが辞めざるを得なくなった時がありました。そういう場合などに、常にネガティブに考えてしまうのです。
自分以外の人間はいつか裏切ると思ってしまいます。
でもずっと何でも話せるような、本当の友人が欲しいです。
どうすればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『主役は”あいだ”にある』。
みみさん、こんにちは。
浩文(こうぶん)と申します。
ご投稿読ませていただきました。
たとえ裏切られても裏切っても
それでも続く関係、というのが
『本当の友達』かもしれませんね。
でもそんな関係なかなか出来るものではないし、
私にはちょっと答えられませんが…。
かつて、『愛と勇気だけが友達さ。』と言って
一部の人間から「寂しいヤツ」と同情された
国民的キャラクターがいました。
そう、アンパンマンです。
それでも彼の周りには人が集まりますよね。
(人じゃないけど。人ということにしておきます。)
『なぜだろう?』
バイキンマンはある日そんな彼を見て思います。
アンパンマンの場合は、
「友達」というのは
人の形をしているわけではなく
パンの形をしているわけでもなく
あなたと私の間にある、と言いたいんだと思います。
間にある『愛と勇気』が
あなたと私を「友達」にするんだろうと。
彼はきっとそんな風に考えているんじゃないでしょうか。
先に『「あなた」がいて「私」がいて』と
私たちはそこから話を始めてしまいがちで
ついついそっちを大事にしてしまいますけど
それがきっと『俺様』ですよね。
バイキンマンは「友達が欲しい、友達が欲しい」と言いながら
その中心はいつも『俺様』です。
『俺様は』がいけない、ということではなく
私たちの中にはいつも
『アンパンマンの心』『バイキンマンの心』
が同居しているということだと思います。
あいだを繋いでいるのが『愛と勇気』なんだろうと。
あちらの世界ではですよ。
『自分以外の人間はいつか裏切ると思ってしまいます。』
本当に仰る通りだと思います。
仏教はむしろ「自分でさえも当てにならない」と説きます。
私たちはついつい『俺様』になってしまう。
その限り、どっちが悪いって話になってしまうから
そんなときこそ『愛と勇気』を思い出してくれよ。
彼らだったら
そんなふうにご提案してくれるんじゃないでしょうか。
バイキンマンはいつも悪者扱いされてますけど
主役はもしかしたら彼なのかもしれないですよね。
昨秋、やなせたかしさん七回忌でした。
今年公開されるはずだった映画。
2021年夏公開に決まったそうです。
どっちが主役か、みんなで見に行きませんか。
南無釈迦牟尼仏 合掌
あなたのトモダチとは?
質問者からのお礼
少し心が軽くなった気がします、ありがとうございました