他人をずるいと思ってしまう
他人をずるいと思ってしまうことがあります。
結婚して子供が欲しいと思ったがなかなか出来ず、不妊に悩まされました。
結果、夫の無精子症が分かり、手術で精子を見つけられる確率は20%と言われ、かなり苦しみました。
運良く精子があり、顕微授精に進むことが出来ました。
顕微授精はわたしの負担がかなり大きく、フルタイムの仕事との両立に苦労しつつ、高額な医療費を払いつつ、なんとか妊娠。3ヶ月前に出産しました。
息子は可愛いです。大好きです。
平日は夫は仕事でほぼいないので1人で見ています。
夫は休みの日はジムに行ったりリフレッシュしていますが、わたしは出来ていません。それで疲れが溜まっているのかも…。
来年4月には復職予定ですが、
夫の転勤が決まりそうです。
転勤に帯同するとなると、仕事を辞めなくてはなりません。
小さい息子のことを考えると、お父さんにもそばにいて欲しいと思いますが、
仕事をやめたらわたしが今まで頑張ってきた意味ってなんだろう?と考えてしまいます。
夫も私も2人目を希望していますが、
前述の通り再び顕微授精が必要で、それには今いる居住地近くの病院に最低でもひと月ほど通う必要があります。
また、息子は1歳になるあたりで手術することがきまっており、それも現在の居住地近くの病院で見てもらっています。
帯同するのも単身赴任も、妥協が必要です。
でも考えることが多すぎて疲れてきてしまいました。
プロフィールも見ていただきたいのですが、波乱万丈な人生でした。
穏やかなときってわたしには来ないんでしょうか?
どうしてなにをするにも問題ばかりおきるんでしょうか?
もっと辛い人、大変な境遇の方は沢山いると存じます。
でも今、どうしても私が辛い!となってしまって毎日涙が出てしまいます。
両親仲良くて、お金などに苦労したことも無くて という人を見ると羨ましくなってしまいます。
そんな自分が悲しいです。
幸せは自分で決めればいいし、自分のこと幸せだって思いたい。
こんなにかわいい息子がいるのに。
疲れてるんでしょうか?
色々限界です。
穏やかに生きたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お湯にすら感謝
ウチのような超山奥の超過疎超高齢化の地域で、吹けば飛ぶようなオンボロ弱小寺院の住職なんてやっていると、あなたの気持ちがよくわかります。しかし、ベンツやポルシェを飾っておけるような大寺院の住職さん方も、何の苦もなく悠々自適に生活しているのかといえば、彼らは彼らで私とは違う種類の苦悩に苛まれています。
金も人も才能も境遇も、我々は持ち合わせていないないコトを嘆くのではなく、与えられているモノを有効に使い満足することを覚えないとね。
【お湯にすら感動できる、幸せのハードルの低い人生を愛してる】
『ホームレス中学生』田村 裕
いろいろなことが重なって、本当にお辛いことと思います。
だから
「自分が辛い」と素直に感じていいと思います。
他の人をズルいと思ってしまうのも
無理ないと思います。
でも人間は
自分にあるものに有難さを感じず
自分に無いものに幸せがあると思ってしまいます。
隣の芝生は青く見えて
隣りの列のレジは早いと感じてしまうのです。
他の人にも他の人なりの苦労があるだろうけど
それは自分には分からない。
自分が分かるのは自分の辛さだけ。
だから
「自分が辛い」と素直に感じていいと思います。