過去の苦しみから解放されたい
実母からの虐待体罰暴言の記憶。「家を出るべき」という返答をよく目にしますが実家にいます。私の中の記憶なのでどこにいても一緒で、母が入退院を繰り返していた際はすべて面倒を見ましたけれど、何かあれば結局呼び寄せられるというのが一人っ子の現実です。身体面も壊れたので元の健康体にしてもらうまで治療費や薬代の負担させる事が償いだと割り切っての同居です。祖父母が毒親で母自身が愛ある子供の育て方を親から学んでいません。影響があった記憶として、5歳の時に宝物を勝手によその子にあげられ【ショックで母親を信用できなくなり】無理やり習い事【私に選択肢はなく】子供だけ置いて旅行、帰宅後は安否を一切気にせず部屋の事で怒鳴り散らし【自分は床に落ちている物以下だと認識】イジメられた時その子の前で「情けないわね」と何故か私を叱り【親が助けない絶望感、いじめを煽られ】自分が壊れました。大して悪い事をしていなくても顔に張り手やベランダに締め出し、余程いい子にしていなければ家にはいられないという緊張感、ストレスのはけ口に利用され、安心できる場所などありませんでした。体調不良から2年後の10歳で自律神経失調症と診断、本来子供は罹らないそうです。体が動かなくなり学校・友達全て捨てました。「あんたなんか死んじゃえば」と母から言われて「だったら産まないでよ、なんで勝手に産んだの?」しか考えられなくなり。カウンセラーには「死んだら駄目だよ」と言われ、その時「でも母は死ねって言いましたよ」と言えず…横に居ましたからね、母が。毎日お腹が痛いと泣き喚きました。周りの子が青春を謳歌してる頃に。なんのために産まれてきたんでしょうね私。でも死にませんでした。生後3日で病死、会えなかった弟がいて自死に抵抗があります。私の努力でだいぶマシになりましたが暴言は今もあります。昔はただ耐えましたが今は誤りを指摘し言い返します。でも最近疲れてきました。質問1フラッシュバックで苦しむ私にその苦労も知らず「忘れればいいじゃん」と軽々しく言った母、この人捨ててもいいですか?私バチ当たりますか? 2自死では弟に会えなくなりますか? 3母から「あの時はごめんね」等、謝罪された事が一度も無く、謝らせる方法がわかりません。 この心と体で生きているのが辛く、まるで別人のようなふりをして社会に出て仕事を頑張っても治りませんでした。私は所詮私ですね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたはあなただからこそ尊い
ご相談拝読しました。本当に過酷な環境で心身ともに傷つけられながら生きてこられたのですね。そして今もなお解放されないのですね。お気持ちをお察しするに余りあります。
その様な中あなたは真摯な態度で懸命に生き、社会にも出て、さらに親の面倒までみておられるのですね。どうか解放されて欲しいと切に願います。
>質問1 この人捨ててもいいですか?私バチ当たりますか?
あなたは虐げられてきました。どうして捨ててバチが当たることがあるでしょうか。しかしながら「捨てる」という方法論が単純に物理的に決別するというだけであり、精神的決別ができていなければあなたが自責してしまったり、あるいは全く関係なく起こった悪い出来事をバチであると捉えてしまうことになりかねません。
「捨てる」ならば「精神的に捨てる」=「心の距離を上手くとれる」ということこそが大事なのだと思います。
>質問2 自死では弟に会えなくなりますか?
仏様は生き様、死に様を選び差別したりなどはしません。しかし死後に会うとはどういうことなのか、それは生きている信仰を確立してこそ見出されてくるものでしょう。
>質問3 謝罪された事が一度も無く、謝らせる方法がわかりません。
これはあなた自身も難しいことはわかりながら、それでも諦めきれないという矛盾や葛藤を抱えておられるとお察しします。たった一言でも謝罪があれば全く違うのに…悔しいですよね。
でもそれができるならあなたに過去してきたようなこともせずに済んだのかもしれません。これも謝らせるということに固執してあなたが苦しむのでなく、精神的決別によってこそ乗り越えられるものではないでしょうか。
精神的決別とは相手を「親」というものとして見るのでなく、「一人の人間」それも「あまりに不完全で至らない者」としてありのままに見ることです。「親」には愛して欲しいのが子です。でもそれが一般的な形で叶うことは難しいのがあなたの親なのでしょう。愛するのが下手というか、愛するということはどういうことかを親自身も学べなかったのでしょう。得られないものを求めも苦しむばかりです。
最後に、あなたはそのような中でも立派に育ちました。どうかこれからの人生は自分を愛し、そしてあなたが本当に大切にしたいと思う環境で生きて欲しいです。あなたは自分の人生を生きていいのです。
質問者からのお礼
吉武様 ご回答いただいきありがとうございました。私の経験については、とても1000字では書ききれず適所を摘まんだ程度なのですが、回答を拝見して本質は伝わったと思えました。「心の距離を上手くとれる」については実際に試行錯誤して家庭内別居状態です。1:もう10年も「お母さん」と呼んでいない、母の手料理も10年口にしていません。2:すべての記念日を廃止。(私は必ず毎年プレゼントを渡し祝っていたのに、2011年私の誕生日を破壊された時から、誕生日・結婚記念日、母・父の日、クリスマス、お正月、全てを廃止にしました。3:「お母さんだと思っていた人が、実はお母さんではなかった。」と思うようにしています。自分が実は養子だった…訳ではないですが、自分には世間一般で言う「お母さん」はいなかった…そう思わないと母とは会話もできません。もう心ではお母さんとは思えなくなっています。だって母親の定義に反する生き物ですから。私は料理やパン作りが好き、母は食べるのが好きで体重100キロ近いのですが、周りから見たらまるで親孝行しているように見えるでしょうが、そんなつもりはなく、パン職人に徹して提供しているだけなんです(心ここにあらず。)そういう付き合い方で生活しています。そして弟は生まれなくてよかったと思っています。指定難病の心疾患でした。会いたかったですけど私は。親が写真を残さず会わせてももらえず、視覚情報が0%なので、脳が夢を作れないみたいで一度も夢に出てきません。どうしても許せないのが、ウチはすでに1人子供が死んでいるのに、唯一の生き残りの私にまで「死ね」という言葉が使えた事。この人を母親と思えと言われても無理です。「お母さん」は決してそんなことは言わないと思います。大嫌いな母方の祖父が亡くなったことをきっかけに、死後30年にお墓から出して手元供養にしています。事前に各所に尋ね合法を確認し、無宗教なので一人で手続きをしました。血が通わない一族の墓に、私の弟を一緒に置いておけませんでした。お許しください。 母が私に謝らないのは、本人はあくまで躾のつもりだったようです。ニュースのような虐待死の子供たちとは違うと。そういう問題ではなくて、相手を傷つけたらまず人として「謝る」事。それすらうちの祖父母は教えていなかったと、今は祖父母をただ恨むところまで私の心は行っています。祖父母の「親としての無責任さと怠慢」が何故私に回ってきたのか…祖父母を恨むとのプロフィール記載はそういう事です。 長くなり申し訳ありません。立派には育っておりませんが、母に育てられたのではなく、自分で自分を育てました。まずはご返答まで。
申し訳ありません一部訂正です。弟はこの世に産まれています。
「生まれなくてよかった」なんて書いてしまっていました。
「生きていなくてよかった」でしたね。見たことも会ったこともないと
こうなります・・・。ごめんね弟君。