障害をポジティブに考える方法
生まれつきの片耳難聴で、大勢の人との会話で、話している内容が聞こえない事があり、難聴であることも普段は敢えて伝えてはいないため、一対一でのコミュニケーションは良いのですが、気心の知れた人以外は複数人で話す場面が苦手です。
片耳難聴自体は時々あることで、同じような人がいない事でもないですし、見えない障害で話しかける側も気付かないので、普段はあまり深く考えないようにしています。
でも、仕事などで聞き取れない事があって不便さを感じた時や、気付いていても配慮をしない人に会った時や、自分だけ理不尽だと感じた時に、辛くなる事があります。
落ち込んだ時にポジティブに考えていくにはどうしたら良いのでしょうか??
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ポジティブ、に捉われないで
こんばんは。「ポジティブとは何か」という捉え方の問題なのですが。
仏教では、基本的に「何事もフラットに捉えましょう」ということを旨とします。多分貴女も「それを引け目とかネガティブに捉えたくない」ということとは存じます。
私の友達にも片耳が聞こえない人がいますが、長い付き合いですけれど今でも「ごめん俺こっち聞こえないから」と言わせてしまい、悪かったと思いつつ会話をしています。
むしろ大切なのは、会話において「相手の話を聞いてない」人が結構いることです。聞いているようで「自分が次に何を言うか」ばかり考えている人。もちろん両耳に問題はなくとも。
あなたの話を、出来るだけそのまま聴きたい。その思いを心掛ける方が大切だということです。それを真ん中に置けば、「ごめんなさい、よく聞こえなかったので」は、あなたの誠実さを示す言葉になると思います。
不便さや、理不尽と思われることを社会に訴えていきませんか
片方が難聴とのこと。難聴は見た目では分かりづらいのでご苦労も多いことと思います。実父のように筆談が必要な程なら相手に分かりますが、NKさんの場合は常に気を配っていないと聞き逃してしまうこともあるでしょうから、お仕事中は神経が休まらないのではないでしょうか。
障害のある方が健常者に近づくように努力するのではなくて、健常者と同じように暮らせるよう社会がサポートすることが、皆が平等に生活出来ることなのだと思います。今日の折々のことばは「想像力のなさは、知らぬうちに人に刃をむけることがある。」でした。NKさんが難聴を気にせずとも生きられる社会になるためには、何が必要なのか声を上げてくださらないと待っていても変わりません。刃を向けられないために、不便さを感じられたり、理不尽と思われることを社会に訴えていきませんか。
以前手話の会に入っていた時、会員は手話の勉強だけでなく、市に要望を出したり、情報交換してと活発に活動されていました。NKさんも一人では出来ないこともグループなら活動しやすいのではないでしょうか。お近くのサークルなど検索してみてはいかかでしょうか。
質問者からのお礼
助言を頂き有難うございました。ご友人やご家族の例を出され、どのように対処されているのかを伺えて、大変参考になりました。
どうあっても聞こえない事があるという事実は動かせないので、対処方法を身につけていくしかないのですが、周りの方に伝えたり、片耳難聴者が困難に感じる事を、社会に伝えていくことで少しでも理解を得ていくなど、できる事は多々あるように感じました。
弱者が弱い部分を共有しても安心出来る社会、人と人が助け合う社会に日本が変わっていく方向に、なるよう願っています。